ある母親の意見

弱者、強者という考え方ですが、以前は、弱いことが悪くて、恥ずかしくて、強くあれという思いが、親のこころのどこかに、あって、こどもも、同様に感じていたと思います。

最近になって、一つ一つ納得をしてきて、こどもが、弱いことが、悪いことでもなく、恥ずかしいことでもないことに、納得しました。

生まれ持った、物事に対する反応の仕方は、その子にはどうすることも出来ないということもわかりました。
こどもが安心して成長しながら、弱い、強いを知り、自分でこうなりたいと、自分で変わっていくのだとわかりました。大人になるにつれて、知識もつけて、だんだん強くなっていくのだと思います。

こどものころ弱かった子がそのまま大人になるわけではないし、こどものころ、強かった子が、本当に強いかどうかもわからないし、そのまま大人になるわけでもないです。

だから、こどもが学校で泣いたり、弱い立場で、いじめられたりしたら、さっさと、逃げて、守られるのが良いことだと実感しています。

本当は、こどもが、もっと、社会に飛び出して行ってから分かることがあるのでしょうけれど、なんとなく、こころのエネルギーがない状態から、少しずつ、元気になっていく様子を感じて、その飛び出していくまでのこころのエネルギーをどう貯めて、使っていくのか、のようなことが、うっすらと、見えた気がしています。

と言いつつ、完全完璧な、不登校ですし、引きこもりの鏡?とも言えるかもしれません。
ただ、興味のある事、場所には、外出に誘われます。きっと、そのしたいことをすることで、また元気になっているのかな、とも思います。

普通のこどもが知らないようなことまで、動画で知っているので、本当に、どう成長して、最終的にどこへ飛び出すのか、本当に、No  Ideaです。
不安がないとも言えませんが。不安とも違うヘンテコな気持ちです。

子どもの心に沿う

>母親がソファーの前を通るとき、息子が足を出してきて妨害します。勿論足を出したとはっきり分かるぐらいに時間の余裕を持って足を出しますから、其れで何か起こるわけではありません。それでも母親がその足に躓いたふりをすると息子は大声を上げて笑います。
>其れ以外にも息子が突然母親の傍にやってきて背中をたたきます。痛いほどではないのですが、はっきりとたたいたと分かるようなたたき方です。

幼稚園児やもっと幼い子どもでは、母親とふれあいたいときに、このような行動をすることがあります。勿論意識で気ではありません。ある意味で母親との追いかけっこを楽しんでいるような、楽しみ方なのです。母親とのスキンシップや信頼関係も、無意識にはぐくんでいます。

現在の忙しい母親は、このような場合には、子どもに注意をします。怪我をするからとか、人に迷惑をかけるとか、です。それでは子どもはかえって辛くなります。母親を遠い人のように感じるようになります。

子どもがこの行動を他人にすると迷惑になることを母親は考えているのでしょう。母親としては、躾けと言うことを考えているのでしょうが、子どもの方は母親だからしているのです。母親だけしか、しないのです。

不登校の子どもがこのような行動をするとき、母親との信頼関係ができてきたときにする場合があります。それと心のエネルギーが貯まってきて、ゲームやネットに心のエネルギーを注ぐだけでは物足らなくなって、次の何かをしたくなったとき、しかし次に何をしたら良いか分からないとき、「退屈だ」と子どもが言い出したとき、言わなくてもそのような心の状態の時、このように母親に、いわゆるちょっかいを出します。だから「退屈だ」という言葉を母親に言うのと同じ意味合いです。決して問題行動ではありません。

つまり、母親は子どもの問題行動として反応をしたのなら、子どもの心に沿わない対応になります。子どもが次の何かを見つけるまでのつなぎとして母親を利用していると考えると、子どもの方で次の何か子どもなりの楽しみを見つけて、それに向かって動き出し、このような行動はなくなります。

不登校の子どもと母親との関係は、漫才をしているような姿の関係が、思いの外子どもを早く元気にします。その意味でも常識的な母親の対応は、不登校の子どもの心を元気にしません。

不登校の原因

半世紀ぐらい前までの日本は貧しかったために、母親以外にも家庭で学校内で辛くなった心を癒やすことができました。ちょっとしたお菓子、ちょっとした食事、ちょっとした衣類、野山を駆けまわる、近所の子ども達と遊ぶ、など当時の子どもとしてはとても大きな楽しみがありました。学校自体も今のように管理が厳しくなくて、子ども自体も学校でひどく辛くなると言うことは少なかったようです。

ところが現代はこれらの物が皆なくなったと表現しても良いぐらいです。昔だったら子ども達にとって大喜びになった物が、今はあって当たり前なのです。かえって当たり前の物がないと、子どもの心を辛くしています。それ以上に学校における問題点は、学校での子ども達の管理がとても厳しくなっていることです。先生も親たちも身体的な怪我を生じないように、子ども達の子ども達らしさを制限します。学校の子ども達への管理がとても厳しくなっています。そのために、子ども達が持つ本能から子ども達は学校に行きたいのですが、その本能の機能以上に、学校からの管理が厳しくて子ども達を辛くして、子ども達の学校に行きたい等位本能を阻害しています。機能をしないようにしています。学校が子ども達のとって楽しくないところになっています。楽しくないばかりか、辛いところになっています。子ども達の中に学校に行きたくない子ども達が出てきます。

ご意見をお願いします。

不登校引きこもりの息子です。ゲーム漬け、ネット漬け、昼夜逆転が既に2年続いています。最近は昼間も起きていることがあり、居間のソファーの上でスマホをいじっています。母親がソファーの前を通るとき、息子が足を出してきて妨害します。勿論足を出したとはっきり分かるぐらいに時間の余裕を持って足を出しますから、其れで何か起こるわけではありません。それでも母親がその足に躓いたふりをすると息子は大声を上げて笑います。

其れ以外にも息子が突然母親の傍にやってきて背中をたたきます。痛いほどではないのですが、はっきりとたたいたと分かるようなたたき方です。母親も「こらー」と言って、息子を追いかけて息子をたたき返します。勿論痛くない程度です。そしてその後二人で笑いこけています。

母親の心配は、この息子の行動が母親に何か訴えているのか、テストをしているのか、母親が何か登校刺激になっているのが気にしています。皆さんなら、この息子の姿をどのように理解をしますか?ご意見をお願いします。

子どもの人生

>人生ってなんなんでしょう
人生という言葉の意味は、人が生まれて死ぬまでの期間と、その間の生きてきた姿を指すはずです。其れは心理学者に任せるとして、不登校の子どもへの対応をしていて、子どもという成長の段階で人生という物を考えてみます。子どもの成長の姿とは
1)親が許容できる範囲で、親の希望する姿で成長をする
2)親が許容できなくても、子どもの希望する姿で成長をする
多くの子どもは1)の形で成長をしていきます。現在の日本社会はこれを求めていますから、常識的な成長ですし、多くの親はこの姿で子育てをしています。親が希望する姿で成長をして大人になってくれる子どもは、親にとってありがたいです。親として自慢ができる子育てになります。けれど、現在の子どもを取り巻く環境の変化は著しいです。その変化に親がついて行けなくても、一応子どもが親の許容できる範囲で成長をして大人になってくれたら、その親なりに納得がいく子育てになります。どちらにしても、子育てという意味の範囲では、親は納得がいく人生を送れたとことになります。

不登校などの心が辛い子どもは2)の形で成長をしようとします。2)の形での成長を多くの親は許せません。子どもを1)の形にしようとしますが、子どもは其れを許容しないのが2)の形です。その結果、子どもは親の要求(ほとんどの例で子どもにとって辛くて行かれない学校に行かせようとする)に従おうとしません。その親の要求に対して、子どもが暴れたり、家の中で暴れなくても学校や町の中で他の人に迷惑をかける行動をするようになります。自殺をしたり、自殺をしたり、心の病の症状を出すようになります。親は自分たちの将来、子どもの将来にとても大きな不安を持ち、何とかして解決しようとします。

この2)の姿の子ども達の将来を考えて、親も子どもも最終的に納得できる人生を送れるように相談に乗るのが、私たちの役目です。現実には、子どもの心が辛い間の対応が1)の子どもへの対応と全く異なるので、親も子どもも納得した人生を送られなくなる場合が多いようです。心が辛い子どもの心に沿った対応をしなくてはならないのですが、其れを多くの親や大人は理解できないのです。

 

携帯を壊す

不登校引きこもりの息子は、現在母親とのメールのやりとりもできない状態です。それでも母親には、一日一回大好きだよというメールを送ってもらいました。
母親が一日一回大好きだよというメールを送っていると、それがとことん子どもとの心の心がすれ違いを生じていました。私は息子の心を深く傷つけましたようです。
きっと母親が息子に毎日メールを送ったことから、息子と母親と心がすれ違ってしまったのでしょう。息子が引きこもっていた部屋から出てきて、携帯を解約してこいと言居ました。母親はすぐに携帯を解約できたので、息子の携帯をすぐに茅訳しました。すると息子は「本当に解約するとは思わなかった。このクソが」と言い、携帯をハンマーで粉々に壊しました。息子の心に沿えなかった私の自業自得です。
連絡のために携帯を契約して、私が外出した時のリビングに置いておくことを思いつきますが、これは先回りになるのでしょうか。

不登校引きこもりの息子は、現在母親とのメールのやりとりもできない状態です。
御母様に返事を送らないと言うだけです。メールの内容がお子さんの心に沿っていたら、そのうちに返事を返し始めると推測されます。大切なことは、御母様のメールがお子さんの心に沿っているかどうかです。そしてその結果はすぐに出ないという事実です。

>それでも母親には、一日一回大好きだよというメールを送りました。母親が一日一回大好きだよというメールを送っていると、それがとことん子どもとの心の心がすれ違いを生じていました。私は息子の心を深く傷つけましたようです。
子どもにとって母親は自分の命と同じぐらいに大切です。ですから、このメールで息子さんの心を傷つけることはありません。きっと御母様をテストしていたのでしょう。そのことは以下の形態を壊したことからも分かります。

>きっと母親が息子に毎日メールを送ったことから、息子と母親と心がすれ違ってしまったのでしょう。
それ以前まで御母様のメールの内容がすれ違っていたので、御母様の言葉を息子さんはテストしたのだと思います。

>息子が引きこもっていた部屋から出てきて、携帯を解約してこいと言居ました。母親はすぐに携帯を解約できたので、息子の携帯をすぐに解約しました。
息子さんの要求をすぐに実現したのは間違いではありません。

>すると息子は「本当に解約するとは思わなかった。このクソが」と言い、携帯をハンマーで粉々に壊しました。
この息子さんの行動から、御母様のMSGを待っていたことが分かります。息子さんの行動は御母様へのテストです。答えは御母様からの携帯によるMSGが欲しいという意味です。

>息子の心に沿えなかった私の自業自得です。
息子さんのテストの意味を理解してください。ですから、携帯がなくても、メモ用紙に書いておいておくのも悪くはないです。

>連絡のために携帯を契約して、私が外出した時のリビングに置いておくことを思いつきますが、これは先回りになるのでしょうか。
本来なら、息子さんからの要求を待って携帯を買うのが良いですが、御母様の考え方も必ずしも間違いではありません。

 

暇だ、暇だと

>暇だ、暇だと言い出したきたので、家で暇なら少しフリースクールや適応教室行ってみる?と話してみたら、行ってみるようなので、週1の数時間だけとか無理のない範囲で行ってみようかと思ってます。
暇だと言えるのは、少しだけ心のエネルギーが貯まってきて、その心のエネルギーを注ぐ方向を探していますが、其れがないという意味でしょう。心のエネルギーがないとこのようなことを言いません。心のエネルギーが貯まってきたから、そのエネルギーを注ぐ方向をお子さんが探しているという意味です。お子さんが苦しんでいるのでいるのではないです。この段階で、つまり未だ十分に心のエネルギーがないのに登校刺激(フリースクール適応指導教室は登校刺激です)をすると、子どもはその段階でよい子を演じてしまい、よい子を演じることで心のエネルギーが高まるなら良い結果をもたらしますが、ほとんどの場合、よい子を演じることで心のエネルギーを失ってしまいますから、また元の心が辛い状態に逆戻りをしてしまいます。そうなったときには御母様との信頼関係を失ってしまいます。

>最近よくちょっかいを出してきて、叩いてきたりするのですが、これは回復したから?ですか?今までそんな事するタイプじゃなかったので、良いように考えたら自分を出せるようになったのかな?と思ったりです。
よい子を演じなくてはならないお子さんが、御母様に登校刺激をするなと、潜在意識でMSGを送っています。

>そうなのですね!暇と言ってきたら回復してきているという話を聞くのですが、それではまだ早いという事ですね。
暇だというのは、心のエネルギーが貯まってきたけれど、まだまだ動き出すのに十分な心のエネルギーがないという意味です。あればそのように言わないでお子さんが自発的に可能な方向に動き出します。

>私に何か問題があるのですね。
少なくとも登校刺激をした、御母様の存在から登校刺激を感居ることが考えられます。しかし現実にお子さんにこれだけの心のエネルギーを貯めさせたのですから、其れまでの対応は悪くなかった、良かったと言えますが、ここで登校刺激をしたら元も子もなくなる可能性が高くなります。

>出来るだけふざけあったり、一緒に遊んだりはしているのですが、何が問題なのかわからないので教えて欲しいです。
とても良い御母様とお子さんとの姿です。これもお子さんの心のエネルギーを高める要因になった可能性がああります。しかしここまでお子さんの心に添えても、肝心なところで御母様に焦りが出てしまったのではないかと推測されます。
今からでも十分に御母様の失言を取り戻せます。御母様の方から、先周りをして、「やはり未だフリースクールにも行かなくて良い、適応教室にも行かなくて良い、家で御母様と楽しくすごそう。楽しいことが一番大切なんだよ。」と何回か言われることで、解決します。
それどころかお子さんの方で心のエネルギーが貯まったときには、御母様が「フリースクールに行くな、適応指導教室に行くな」と言っても、フリースクールでなく、特別指導教室でなく、自分から自分の教室に行ってしまいます。