基本柱の基本

<質問>

なぜ、見ない、言わない、笑顔(微妙)、をしていると、私の子供は悪化したような、今は子ども達が私を怒って、私が無視?されてます。

<回答>

第一は、子どもの心と大人の心と異なることです(詳しくは「子供は何を感じ、考え、行動するか」をご覧になってください)。つまり大人が子供のことをよく知っているとおもって、子供のことを考えても、それは子どもの心に沿っていないという意味です。

第二は、その結果子供は、子どもの心が辛いとその辛さを回避する回避行動をしますし、心の辛さが取れると、其れまで身につけた性格から反応をして行動しています。

第三は、子供は母親を大好きです。子供の判断基準は母親の姿です。母親の姿から信頼感を感じると心が楽になり、其れまで身につけた性格から、素直な行動をします。

この三つから
>私の子供は悪化したような、今は子ども達が私を怒って、私が無視?されてます。
は、御母様の判断が子ども達の心に沿っていないという意味になります。何故沿っていないかと言うことを書いてみます。

>見ない、言わない、笑顔
母親のこの姿は(母親以外ではかならずしもそうではありませんが)子供への信頼感を子供へ与えます。なぜだか皆さんで考えてみて下さい。

>私の子供は悪化したような
今までの子供は大好きな母親のためによい子を演じ続けていたのです。しかし母親の対応の変化で、母親からの信頼感を感じ始めたとき、素直な子どもの心で反応を始めます。つまりよい子を演じなくなる、素直に自分の辛さを母親に向かって表現し始めます。その結果、母親から見たら悪化したように母親が理解するのです。

>今は子ども達が私を怒って、私が無視?されてます。
子供は母親を大好きです。ですから今までよい子を演じていたのを演じなくなって、子どもの心が辛いよと言う表現を、母親から見たら怒った姿、無視した姿に理解されました。つまり子供の心が辛いと言うことを、母親に素直に表現できるようになったのです。ですから、この段階で母親が怒りだとか、無視だとか、大人の心で理解したなら、この段階で子供からの信頼感を失ってしまいます。経験的な話ですが、子供がひとたびよい子を演じることを止めて、自分の辛さを表現しだしたとき、その後又よい子を演じるようになることは殆どありません。母親が子どもの心が辛いことを理解するまで、怒りの行動や無視の行動など、問題行動は続きます。

結論として、子供がこのような姿になったのは、御母様が子供を信頼しようとする思いが子供に伝わったためです。そこで子供は母親からの信頼が本物かどうかをテストし始めました。そのテストの意味を大人の心で理解すると、子供からのテストに母親は合格しません。この母親はもう一歩子どもの心にそう理解の仕方を練習、身につける必要があります。具体的には皆さんで考えてみて下さい。

登校刺激

ある不登校の子どもを育てている母親からです。

親が子供に経験させていると思ってやってることはさほど子供の本当の経験にはなっていないんでしょうね。
子供の頃から、旅行やキャンプなど楽しんでついてきましたが、日常生活を自分の思う通りに過ごせることがとても重要なんだと思います。
そう考えると子供の突拍子もない要求は、母親の私に近寄ってくるところから姿が違います。変なポーズや赤らめた顔で擦り寄ってくるのでおもしろいなあと思います。今日も突然、「ショッピング!」と言ってネットでゲームを買いました。以前からやりたいと言っていたゲームです。私が、「代金は払えばいいね?」と聞くと、「いや、それはいい」と言って自分のお金を渡してきました。自分なりの経験を積んでいるんだなと、私の意識を切り替えたらいいんですね。

<解説>

>親が子供に経験させていると思ってやってることはさほど子供の本当の経験にはなっていないんでしょうね。
その経験が子供にとって楽しければ、それなりの経験になっています。但し自分発の意思で行った経験は本当の経験になっています。子供がよい子を演じてその経験をしているなら、かえって子供を苦しめている場合があります。その当たりの見極めが必要です。お子さんの場合しっかりと自分発の意思を出しています。

>子供の頃から、旅行やキャンプなど楽しんでついてきましたが
楽しかったはずですから、間違いではありません。繰り返すことでその経験が身に付きます。

>日常生活を自分の思う通りに過ごせることがとても重要なんだと思います。
其れは効率の良い経験になります。より確実に身に付きます。

>そう考えると子供の突拍子もない要求は、母親の私に近寄ってくるところから姿が違います。変なポーズや赤らめた顔で擦り寄ってくるのでおもしろいなあと思います。
間違いなく自分発の意思です。その姿はお子さんなりで、経験が増えること、成長によっても異なってきます。お子さんがお子さんなりの自立に挑戦していますから、今はこれで良いと思います。御母様はお子さんの成長を楽しんでみていて下さい。

>今日も突然、「ショッピング!」と言ってネットでゲームを買いました。以前からやりたいと言っていたゲームです。私が、「代金は払えばいいね?」と聞くと、「いや、それはいい」と言って自分のお金を渡してきました。自分なりの経験を積んでいるんだなと、私の意識を切り替えたらいいんですね。
お子さんなりの意思の出し方が、確かにおもしろいですね。お子さんが大人になったときには、昔話として楽しめると思います。

共通テストについて

共通テストを読んで、不登校の子どもを育てている母親からの感想です。

荒れていた頃は、ものすごく辛かったと想像します。それを認めて、こどもの姿を何年も認め続けたお母さん。最終的に、大学、学校へ戻ることを決めた息子さん。そばで生きてきたお母さんはどのような思いだったのでしょうか?
学校ではなく、違った生き方を選んだ体験も、たまに、聞いてみたいと思います。
本当に聞きたいのは、誰とも違う、その子なりの生き方を、生きた経を聞きたいです。
その中の一つが大学というのは、わかります。多くの親が、望むのもわかります。

<主催者よりの回答>

>荒れていた頃は、ものすごく辛かったと想像します。
どの母親も子供が不登校になることを考えていません。多くの子供が学校を利用して成長をする姿になることを信じていたはずです。ところが子供が学校に行かれなくなったとき、それは母親であることの否定になってしまいます。ははおやとしてこうありたい、こうあって当然だという母親の知識を否定されてしまいます。否定は最高に辛い嫌悪刺激ですから、其れは地獄に居るような思いのはずです。

>それを認めて、こどもの姿を何年も認め続けたお母さん。
認めたと表現すると必ずしも正確ではありません。スタートは認めざるを得なかったのです。母と子とが地獄のような状態にあったので、仕方なく子供の姿を変えようとしなかったところ子供の姿が落ち着いて、その分地獄の苦しみが減ったと言う事実を母親は経験しています。その経験から、もうすこしそのままで待ってみたところ、ますます地獄の苦しみが減ったと言う事実の積み重ねから、子供の姿を変えようとするのを止めた母親なのです。

>最終的に、大学、学校へ戻ることを決めた息子さん。そばで生きてきたお母さんはどのような思いだったのでしょうか?
其れを大喜びする母親だと、子供は母親を信頼できなくなり、又地獄に戻ってしまう可能性が高くなります。内心で母親は喜んでも、それまでと同じに母親は子供のすることをそのままさせておいて(其れを認めると表現する人が多いですが)、子供からの要求が出たときにその要求の範囲だけ母親がその要求を実現しようとすると、母親と子供との関係がとても良くなります。母親には地獄から抜け出せたと感じられるようになります。

>学校ではなく、違った生き方を選んだ体験も、たまに、聞いてみたいと思います。本当に聞きたいのは、誰とも違う、その子なりの生き方を、生きた経を聞きたいです。
其れはよく分かるのですが、其れは当の母親から聞かれるのが一番参考になります。親の会で母親達はこの件のようなことを話していますから、親の会に参加されて直に母親達から話を聞かれるのが良いです。私の所ではホームページに日時か書いてあります。遠方ならZoomでの参加をお勧めします。
私が書く場合には、その内容が誰のことだか分からないように書く必要があります。其れは内容を都合が良いように修正しますから、どうしても当たらず障らずになってしまいます。

>その中の一つが大学というのは、わかります。多くの親が、望むのもわかります。
不登校の子供が大学進学を口にしたときには、母親は其れを否定してあげる必要があります。子どもが大学に向かって動き出す子供の多くの母親は、子供の大学進学に無頓着なことが多いです。

なんで?についたコメント

ブログのコメントでの質問にお答えします。

<質問>
何で?と言う子供の問いに対して、わからないという回答でよいということでしたが、わかってる場合は答えてしまって構わないということなのでしょうか?
それともわからない、と返答した方が良いですか?

<回答>

何でという子供の言葉には、「何でその様なことを言うの」と言うような、子どもの心を辛い状態にしてしまったことについての訴えと、単純にあることについての理由を聞く場合とがあります。前者の場合は又別の機会の述べることにして、後者について私なりに説明をしてみます。

子供にどのように声がけするかについて、第一に考えなくてはならないことは、子どもの心が元気か子どもの心が辛いか見極める必要があります。

多くの子供は心が元気です。心が元気な子供には、母親の思いで、母親の知識や常識から母親の心に素直に答えることが可能です。可能と書いたのは、母親が答えを分かっていても、知らないように演技してしまうと、子供の方で本当にその答えが欲しかったら、子供なりに工夫をして知ろうとするからです。子供の知りたいという意欲を助長します。

心が辛い子供には、母親の知識から、常識から答えると、かえって子供を辛くする場合があります。母親の答えが登校刺激にならなければ答えても良いのですが、母親の答えが登校刺激になるか、常識的でかえって子供を苦しめるのか分からないときには、答えが分かっていても、答えないか又は母親がわからないと演技した方が良いです。心が辛い子供は、心が元気な子供ほど、何かを知りたいという意欲は弱いです。母親が答えなくても、その母親の対応により子供が辛い思いをすることはありませんし、それ以後その質問をしてくることは少ないです。

母親には子供の心が元気そうに見えてその実、心が元気でない場合があります。子供がよい子を演じ続けている場合です。その場合を母親に見抜くことは出来ないと推測されます。ですから、常識に反して、心が辛い子供への対応をした方が、子供の方でよい子を演じるのを止めてくれる可能性が高いです。心が辛いことを素直に表現するようになる可能性があります。但しこの場合、母親にとって辛い子供の姿ですから、現実に母親が自分から子供がよい子を演じていると気づけない理由です。

>何で?と言う子供の問いに対して、わからないという回答でよいということでしたが、わかってる場合は答えてしまって構わないということなのでしょうか?それともわからない、と返答した方が良いですか?
現実の母親は、心が元気な子供、心が辛い子供という概念を持っていません。母親の持つ知識、常識から対応をしています。そして多くの子供は心が元気な子供ですから、母親の持つ知識、常識で答えて良いですし、面倒だという理由で答えなくても間違いではありません。その方が母親が楽です。もし可能なら、母親の答えに子供がどのように反応をしたか、つまり常識的に考える子供の姿と異なるときには、子供の心に何か無いか自問してみる必要があるかも知れません。でも、常識的な母親、知的な母親には、子供が感じる心の辛さを子どもの心に沿って理解する難しさがあります。

爆発

小2から完全不登校の息子はもうすぐ中学生年齢になります。母親の試行錯誤で最近は大分元気になってきていましたが、去年末は自分で作り出したと思われる登校刺激で辛そうな日々でした。それでも母親は息子の言葉を聞き続け、共感とスキンシップだけでじっと待ちつづけてくれていました。その様な息子が年明けから急速に元気になってきました。再び弟や妹たちと一緒にゲームして遊ぶようになりました。

最近はやりたい知りたいが爆発してる様です。YouTubeから得た科学的な知識を実際に実験したり天体望遠鏡を買って星を探したり、元々好きだった天体や科学のことで頭がいっぱいで毎日楽しそうです。
息子は知識や方法を教えられるのを嫌がる子供です。自分が見つけたい、調べたいが強いので答えや方法を一方的に教えられる学校のスタイルは合わないと思います。その代わり自分で発見する力が凄いしその時の嬉しそうな姿はとびきりです。

子供の心が辛い間はそれどころではありませんでしたが、心が楽になり本能が機能する時爆発的に興味のある分野への知識欲が開花する姿が見えますね。先回り、前のめりにならないようにと気をつける間もないほど本人が突き進むのでこちらはついて行くので精一杯です。世間的には長い年月学校も行かないし、基本的に外にも出ない心配されるような子供の姿なのでしょうが、イキイキとやりたいことだけができる息子の姿に私はワクワクしています。

これからも波はあるでしょうが息子なら大丈夫と思えるようになってきました。いつか離れて行くその日まで息子との毎日を楽しみたいと思います。

何で?

あるユニークな子供の姿についてのメールを頂いたので紹介しておきます。

<メール>

高校生の娘がよくなんで?なんで?と理由を聞くこです。私の方が、理由なんて、わからなくて、わからないけど、そうしたいから、とか、言っています。
例えば、お母さんたちは、集まったり、道端で、喋りますが、そういうのも、なんで?おしゃべりするのとその理由を聞くことだし、友達はなんで友達?だし、私は考えないようなことも、すべて理由を知りたがります。本当に辞書を、読むのが、好きなほどです。

<解説>

>高校生の娘がよくなんで?なんで?と理由を聞くこです。
幼児がこれは何?としつこいぐらいに聞くことと似ています。子供が知らないことを知ろうとする子供の本能からの要求です。これにより認識した物の実体を理解していくようになります。知識がついていきます。


>私の方が、理由なんてわからないけど、そうしたいから、とか、言っています。
其れが正解です。きっと理由が分かるときは教えてあげていらっしゃると思います。理由が分からないときにこのように言われているのだと思います。もしそうなら御母様が理由を分かる必要がありません。子供の方で調べると思いますから。又其れが子供の知識の発展を促します。

学校教育では予めルールがあって、それに基づいて子供に知識を与えます。基本で気には子供が求めようとしなくても押しつけています。心が元気な子供では子供が持つ本能から其れを受け入れようとしますが、子供の正確によっては其れを無視します。つまり学校が求める勉強をしようとしません。その代わりに自分の興味を持った物に対して、なんで、なんでと、その理由を求めようとします。学校のあり方に合わない子供ですが、その子供なりの能力を伸ばすのに好ましい姿です。

>例えば、お母さんたちは、集まったり、道端で、喋りますが、そういうのも、なんで?おしゃべりするのとその理由をきくことだし友達はなんで友達?だし、私は考えないようなことも、すべて、理由?を知りたがります。
子供の知恵を作るために、増やしていくことに必要なことなのです。そうやって自分のおかれている環境、社会を知ろうとしています。ただ親にとって知らないことを聞かれても本当に回答に困ります。一見育てにくい子供ですが、子供の将来に関して本当に楽しみです。

>本当に辞書を、読むのが、好きなほどです。
辞書だとこの子供は知識を得ようとしていると、大人は理解します。当の子供はその辞書を読んで楽しいのです。では辞書でなくて小説ではどうでしょうか?漫画ではどうでしょうか?確かに内容を覚えて身につけると言うより娯楽性が大きくなってきます。それでもその内容を知ろうとしていることには変わりありません。但し其れは親や大人が知って欲しいと言う内容と違ってきています。その違いは世代の違い、文化発展の違いによって生じるのではないかと私は思うのです。基本的には同じだと思うのです。私の私見です。根拠はありません。

子供の理由と意味

ある母親から次のようなMSGを頂きました。

>子供には好きに理由はないけど、好きになるそれ事態に意味はあるのですよね。
私の研究の範囲ですが、子どもの心の立場から言うならその通りです。

その好きの状態を繰り返し経験し続けることで、子供は好きな理由を、大人の言葉を利用して、知識として確立していきます。あくまでも子どもの心からの話で、大人では違います。今までの大人の常識が当てはまることが多いです。

例えば、子供は母親を大好きです。そこに理由はありません。大人は理由をつけます(私は本能だと言います)。しかし子供は経験を増やすことで、知識を増やすことで、その子どもなりに母親を大好きな理由を言葉にすることが出来るようになります。子供が母親を好きな理由を言葉にしたときには、その子供の理解であり、その理解に基づいて母親を好きになったのではありません。