「引きこもり」支援者に根強い“引き出せばいい”という錯覚の罪 19

前回、不登校から引きこもり、ニート、フリーターの大人であっても、意思を出せると社会性を得られると申し上げました。大人でも自己否定が弱くなると、無くなると自分の意思から社会へ出ようとします。ただ、自己否定に気づいている大人が少なくて、自己否定が解決しないで社会に出ようとした場合、葛藤状態になり、ますます自己否定を強めてしまいます。

不登校、引き籠もりの子どもでは登校刺激が無くなると、その子どもなりに社会と関わるようになり、叉周囲の大人もそれを認めますから、その点が異なります。

ところが不登校から引きこもり、ニート、フリーターの大人の場合、子どもと異なって、結果を急ぐ傾向があります。また出て行く社会が子どもと異なって厳しい社会に出て行きます。その大人は社会から否定を受けやすいし、その否定に敏感に反応をして、葛藤状態になり、社会から逃げ出す様になりやすいです。

不登校から引きこもり、ニート、フリーターの大人が社会に出て行く場合、自己否定からの辛さ以上に、社会に出て行こうとする意思が必要です。社会に引っ張り出されたこのような大人は意思が無いか、意志が弱くて、否定に敏感で、社会から逃げてしまいます。不登校から引きこもり、ニート、フリーターの大人は普段からしっかりと意思を出す練習、習慣が必要です。

意思を出せないこのような大人は、未だ社会に出て行く段階ではありません。もちろんその様な大人を否定が多い厳しい社会に引っ張り出すのはとても危険です。社会にその大人を否定するような物が無ければ、引っ張り出すことは可能です。社会にその大人を肯定するような物があれば、その大人を引っ張り出すことは意味がありますが、現実の社会ではその様な場所はありません。このような大人のための、否定が無い、場合によっては肯定される場所を用意する必要という意味です。