「引きこもり」支援者に根強い“引き出せばいい”という錯覚の罪 20

不登校から引きこもり、ニート、フリーターの大人について、社会的自立を持たせるために手助けが必要と申し上げました。これらの大人の心が元気になってしっかりと意思を出すようになっていたら、手助けは必要ありません。

現実にその様な自分から社会性を持とうとするこれらの大人は少ないようです。と言うより社会的自立になる前に、つまりその様な大人が元気になってくると、周囲の大人が待ちきれなくて、その様な大人を社会に押し出し出そうとする傾向があるという事実があります。その様な大人も周囲の大人の思いを感じ取って、無理をして社会に出ようとする傾向があります。それがその様な大人の社会的自立を邪魔して、社会的自立をしようとするその様な大人を、却って引きこもり、ニート、フリーターにとどめている場合を見てきています。

つまり、不登校から引きこもり、ニート、フリーターの大人について、社会的自立を持たせようとするなら、
1)これらの大人の心のエネルギー、しっかりと意思を出させる能力の度合い
2)受け入れる社会がどれだけこれらの大人を受け入れる寛容さがある度合い
の兼ね合いになってしまいます。
1)が大きければ大きいほど、2)はそれほど問題で無くなります。
1)が小さければ小さいほど、2)の問題が重要になってきます。

1)が十分に大きいと、このような大人を社会に押し出す必要は無くなります。自分から出て行きますから。然し現実は1)が十分でない大人を社会に押し出すことになります。その様な大人に社会性を持たせるには、2)を十分に配慮する必要があります。

「引きこもり」支援者が、引きこもり、ニート、フリーターの大人を社会に“引き出せばいい”という錯覚は、支援者がこれらの大人の心を配慮していないこと、それらの大人を受け入れる社会を配慮していないことがあります。これらを配慮しないで、社会に出ているという形だけを求める支援者の考え方対応は、錯覚とそれに基づく対応と言う事になると思います。