バカ母さん 5補足

<症例>

今日、その息子が「俺、やっぱり中学校行くのやめようかと思うんだ。中学校は小学校より人間関係めんどなのが嫌なんだ。高校ならいろんな所から人が集まるから、高校から行くことにしようかな」と言いました。私は、「そうだね、それが良いと思う。」と言いました。    

<解説>

バカ母さん5で大切なことに触れませんでした。それは息子がなぜ今高校のことを言ったかということです。

殆ど全ての中学生は、中学を卒業すると次は高校に進学すると思っています。それは戦後まもなくまではなかったことです。今の子どもは中学卒業後に社会に出て行くことを考えません。但しどの中学生も具体的な高校生活を知っていません。現在の子どもの発想として中学の後は高校に行き、大学に行くという進路です。

中学で不登校の子供がその親に高校から行くという場合、高校に行くという意味ではありません。中学は行かないよと言う意味です。中学は行かないけれど、高校は行くつもりだから、安心して中学は不登校にさせてねと言う意味です。行くつもりと表現しても、それは行くと言う意味ではなくて、中学校に全く行かないけれど、中学を終えたらその時は高校に行くことを含めて、改めでどうするか決めるという意味です。

では子どもは高校から行こうと思っているかというと、そうではありません。高校生年齢になるまで学校に行かないという意味を言っただけで、高校生年齢になったときはその時叉どうするか決めるという意味です。現時点で高校に行くことを考えているわけではありません。高校に行くという言葉を使うことで、中学生年齢の不登校で不安な親を当面安心させるための、子どもなりの言葉です。

つまり親は子どもに学校に行って欲しいと思っていると子どもは理解していて、不登校をしながらその親を安心させるために、子どもが中学校に行かない事実を安心して見過ごして貰うために、高校という言葉を使っています。今未だ考えていないけれど、高校年齢になったときはその時どうするかを考えるという意味です。中学生を終えたときの時間的な目安として、時間的な区切りとして、高校という言葉を使っています。中学時代の子どもが苦しんでいる問題点を述べて、中学を終えた後の学校(それが高校)にはその様な問題点がないであろうという意味をいろいろと言っただけです。

母親は母親で子どもの心を守るために学校に行かさない対応をしています。この中学校に行かさない母親の対応が本心かどうかを試すという意味もある場合もあります。その場合の母親は子どもに「高校に行かなくて良い」という必要があります。この症例でも母親はこの言葉を言っても良かったのですが、敢えて言わなかったのは、言う必要はなかったのは、子どもが高校と言った言葉の意味を理解していたからでした。中学年齢の間は学校のことは考えないで、息子なりの成長の仕方をすると言う意味を理解していたからでした。高校年齢以上になっても不登校を続けていて良いと言う意味で、母親は「それがよい」とだけ言ったのです。

常識から言うなら、母親が子どもの教育を放棄していると考えられます。母親の理解は、息子にとって、学校が教育を放棄(一般の人には考えられないでしょうが、息子の心から言うなら、息子はその様に反応をしていることに、学校が気づいていない)しているだけでなく、息子の心を壊しているから、子どもが不登校になったと理解しているから、子どもから学校を取り上げています。この事実は常識的な人にはとても理解できないと思います。しかし不登校という地獄を子どもと一緒に苦しみそこから這い上がった母親だから出来ることなのです。