記憶の中の学校

11歳の不登校の息子です。不登校になって3年経っています。最近登校刺激に気づき、息子の周囲から学校に関するものを全て取り除くことをしています。ところが先程、「誰が僕の担任になったのかなあ?」と聞いてきました。

私が「あんたは学校に行かないのだから、誰が担任でも構わないでしょう?」と答えました。「あんたはあんたにとって一番楽しい生き方をしなさい。今のあんたに学校は必要ないでしょう。」と追加しました。

「そうだな、俺の人生だもんな。」と、息子は言って、いつものようなふざけたポーズをして部屋に入って行きました。私は今、学校も勉強も考えていません。あの辛い経験を乗り越えてきた息子です。心が元気な息子に育って欲しいと、只それだけを願っています。本当にいつも通りの甘えん坊の息子なので、このまま落ち込んだり荒れることなくいて欲しいと思ってしまいます。

質問です。心のエネルギーが残っている場合、学校を早く忘れることはできますか。それでも、学校に関しては時間が必要なのでしょうか。

<解説>
>「誰が僕の担任になったのかなあ?」と聞いてきました。
子どもの周囲に登校刺激になる物を完全になくしても、子どもの記憶の中に、学校に行くべきと言う強い記憶が残っています。これは日本の子どもは皆持っているようです。日本文化の影響だと思います。

この学校に行くべきと言う記憶を思い出させないためにも、享楽的な遊びに夢中になる必要があります。

>質問です。心のエネルギーが残っている場合、学校を早く忘れることはできますか。
心のエネルギーが残っていれば、享楽的な遊び以外にも何かの遊びを始めることが出来ます。其れは新しい挑戦を生んで、心のエネルギーをより高めるのに役立ちます。
つまり心のエネルギー自体が学校を忘れさせるのではありません。学校とは関係ないこと(ゲーム出ない場合には親は嬉しくなります。ゲームでも同じ結果を生じます。)に没頭することで、没頭している間は学校を忘れます。子ども特有のエネルギーを生じます。これは大人にない子ども特有の物です。

>それでも、学校に関しては時間が必要なのでしょうか。
日本の子どもの場合、学校に行くべきと言う記憶がとても強く残っています。この記憶を消すには、時間を要します。其れは一度記憶しか知識を忘れるのに時間がかかるのと同じです。より早くこの記憶を無くするには、学校をほんの少しでも思い出さないことです。ですから没頭する必要があります。

もう一つ方法がありますが、其れは次回にします。