ある意見 2追加

>本来、ひきこもりや不登校にはならなかったタイプの子供たち、性格的に情緒は安定しているけれど、対人関係や学校や社会消極的な子供たちの不登校が増加しています。

>本来、ひきこもりや不登校にはならなかったタイプの子供たち
此は奇妙な表現ですね。引きこもりになるタイプ、不登校になるタイプ、があると決めつけていますね。
そうではなくて、ごくありふれた子供が学校で辛い経験をして、不登校になったり引きこもりになったとき、その時の姿をあたかも本来の子供の姿と、原因と結果を逆に考えています。不登校、引き籠もりにならなくても、それに近い心になっていれば、その姿は既に不登校、引き籠もりになっている子供の姿と似たものになっています。

>性格的に情緒は安定しているけれど
不登校の子供では、不登校にならなくても心が既に不登校の子供では、登校刺激がないと普通の子供の姿をしています。それを情緒が安定していると表現しているのでしょう。引きこもりでも同じ事が言えます。
とても元気でクラスを引っ張っているような子供が突然不登校になったり、引きこもりになったりすることをしばしば経験します。

また、心は不登校だけれど、親から学校に押し出されている子供は、学校で荒れたり問題行動をする子供、逆にひっそりと存在をはっきりさせないようにしている子供とがあります。はっきりと二分するのではなくて、連続的な表現の仕方になっています。

>対人関係や学校や社会消極的な子供たちの不登校が増加しています。
学校が辛い子供が増えているという意味ですね。子供もその親もなぜ子供に元気が出ないのか理解できないから、辛さに耐えて子供は学校に行き続けていますし、親も子供を学校に押し出し続けています。学校で子供は登校刺激に耐えるので精一杯に近い状態です。心のエネルギーがその耐えることに使われて、元気で成長する方向に使われません。所謂子供らしさが無くなっていきます。そして心のエネルギーが無くなったときに、子供は不登校になっています。親が子供を学校に押しても、子供は動けなくなっています。