学校に行き渋る子どもへの対応法のまとめ

学校に行きぶる子ども(埠頭の2「恐怖」の形)への、脳科学的な考え方として次のようになります。


子どもは学校という子どもの集団を好む本能を持って居る
子どもは新しい知識経験を求める本能を持って居る
この二つから、子どもは学校に行きたがる(学校に行き渋る子どもの学校に行くときの姿)

学校に行き渋る子どもの場合、学校内に恐怖刺激があるので、その恐怖刺激があると学校に行けない。その恐怖刺激が無いときには学校に行かれる。この恐怖刺激として子どもが気づいている物(子どもが言葉にする)と、子ども自身が気づいていない物(子どもが言葉にしない)物がある

この気づいている恐怖、気づいていない恐怖が学校内に無いと子どもが感じたとき、判断したとき、子どもは自分が持つ本能から、母親が行かさない対応をしても、学校に行こうとする。所が学校内にあると子どもが感じたとき、判断しても、子どもは子どもの本能から学校に行こうとして、葛藤状態になる。とても辛くなる。いろいろな回避行動、身体症状を出すようになる。子どもが学校に行こうとしてとても辛そうになる姿。

このとき、母親が子どもを学校に行かさない対応を取ると、つまり子どもの学校に行こうとする本能を否定してあげると、子どもは学校に行けない原因を母親が子どもを学校に行かさないようにして居ると感じて、学校に行かない子ども自信の姿を許せるようになる(学校にいけない責任の転化)。その結果葛藤が無くなり、子どもの心が楽になり、子どもが回避行動、身体症状を出すのを止めて、家の中でその子どもなりの心の成長が可能になる

これが子どもの今の姿の脳科学的な理解の仕方です。つまり子どもが学校内に学校に行けない恐怖刺激があると感じるか、理解するかが子どもの学校への姿を決めます。この学校内に恐怖刺激があるか無いか、その判断は母親に出来ないことです。推測すら出来ないことです。そこで母親が、子どもに学校に行かさない対応をした時に、その時、学校内に恐怖刺激が無いと子どもが感じたり判断したとき、子どもは母親の対応を否定して、怒って学校に行ってしまいます。その時、学校内に恐怖刺激があると子どもが感じたり、判断したとき、子どもは安心して学校を休みます。学校内の恐怖刺激で苦しむことが無くなります。

また、学校内に恐怖刺激が無いと子どもが感じたり、判断して学校に行ってみると、学校内に恐怖刺激があると感じたとき、判断したとき、子どもはその恐怖刺激で苦しむ前に、安心して家に帰ってきます。学校内の恐怖刺激に苦しむことが無くなります。子どもの心の成長が可能になります。この子どもの判断を尊重するために母親は「学校に行くな」という言葉や対応で子どもに学校からの「逃げ道」を作ってあげて、後は子どもの判断を待っていれば良いです。「後追い」で良いです。

この対応をすることで、学校内に恐怖刺激が無くなる(何かの理由で無くなる場合と、子どもの方で恐怖刺激から長い時間離れていることで、恐怖としての機能が弱まっていく、恐怖で無くなっていく)と、子どもは不登校の分類2「恐怖」から不登校の子供で無くなります。問題なく学校に行けて勉強も出来るようになります。

この母親の対応法は、心が不登校でない子どもに行っても問題を生じません。母親のこの対応でも、子どもは何も無かったかのように学校に行ってくれます。