ある男の子からの考え方 9

>高校二年の純一君は少し線が細い青年ですが、とてもしっかりとしていて勉学に励んでいました。積極性も有り、クラス委員も進んでしていました。秋の文化祭では数名の仲間と役員になって、クラスをまとめて企画を作り、担任と話し合いました。然しその企画の内容が今までにないユニークな物だったので、担任から強く拒否をされてしまいました。

純一君の心が大人なら、純一君がその時までに持っていた知識の中から、文化祭のテーマに関連した物を選び出し、他のいろいろな要件と照らし合わせて、つまりいろいろと考えて、テーマを作り、学校に提出します。

純一君の心は未だ子どもです。最初に文化祭のテーマという与えられた命題に、情動から選ばれたテーマを学校に提出します。提出する前でも後でも、何か問題を生じる可能性を感じられたり、実際に問題を生じたとき、純一君なりの理由付けが開始されます。つまり、提出したテーマについて、純一君なりの思考活動が開始します。純一君の情動の接近系が実現できるように、理由付けをします。その過程は、結果的に、大人の心がいろいろな角度から思考をして選択した事と、見かけ上全く同じです。その結果大人は純一君がいろいろと考えてこの文化祭のテーマを提出したと考えます。大人と子どもと、出発点が異なるのです。

こういう言葉があるのかどうか定かではありませんが、そしてこれは例外が多すぎるのですが、あくまでも例えとして使ってみたいと思います。
>ドイツ人は考えてから行動する。フランス人は考える前に行動する。イギリス人は考えながら行動する
大人の心の基本は、ドイツ人は考えてから行動するに相当しています。これが理性的な行動と理解されている物です。この行動の仕方は、周囲との関係で軋轢を生じます。
子どもの心は、フランス人は考える前に行動するに相当しています。子どもではこの反応の仕方を大人の力で変えて、繰り返して習慣化していきます。その際に回避系の力を使うと、子どもは恐怖の条件刺激を学習して、大人の目から見たら子どもの心が歪曲化したと理解されます。子どもの場合接近系の力を使う必要があります。それを出来るのは母親だと言っても間違いではありません。
大人の心は、この言いましのドイツ人に騒動する、考えてから行動をするです。しかし現実社会では、必ずしもそれを貫こうとすると軋轢を生じます。つまり社会から、他人から、障害を生じます。葛藤状態になります。そこで大人の心なら、その時点で叉考え直して、別の結論を導き出して行動を続けます。これがイギリス人は考えながら行動するという言葉の意味です。そこには思考の殉難性があると言う意味ですが、味方によっては一本筋が通った考え方を持って居ないと表現されると思います。

大人だけど、その心は未だ子どもの心の要素を持って居る人がいます。情動に接近系だけが機能をしているときには、理性的な行動が可能ですが、子どもの心の要素を持って居ると言うことは、情動からの行動をしやすくなります。同じ環境下でも、情動が強く働きやすいですから、理性的な行動が出来ないときが有り、情動行動、感情行動が見られやすい人です。