ある男の子からの考え方 10

純一君の心のエネルギーがマイナスなら、純一君はこの文化祭の役員をしなかったでしょう。

純一君の心のエネルギーが十分にあれば、純一君は学校が拒否をするような文化祭のテーマを出さないか、出したとしても修正するなり、代案を出すことが出来ました。これ以後の問題行にならなかったと思います。もし、文化祭のテーマが他の役員の発案で、純一君がそのテーマに協力をしなければならない状態にいたなら、純一君は学校からの反対をこれほどまともに受けなくて、純一君なりにかわすことが出来たと思います。

純一君の心のエネルギーはあったけれど十分でなかったことに加えて、純一君が純一君なりの挑戦する性格で無かったとしたら、純一君はこの文化祭のテーマから逃げ出していたでしょう。現実の純一君の性格から、純一君は文化祭のテーマから逃げ出すことは出来ませんでした。学校からの否定をまともに受けて、葛藤状態になっていたはずです。

自分、叉は自分たちで決めた文化祭のテーマを実行しなくては無い、それから逃げてはならないと言う、純一君の知識
現実に学校から強い否定を受けて、純一君の知識からの行動が出来ない

この純一君の知識と現実との関係を葛藤と言います。別の見方をすれば、純一君は学校から強く否定されたことになります。否定されることで純一君の本能からとても強い回避系の反応を生じてしまいます。心が辛くなっています。所謂板挟みです。

心が元気な人はこの葛藤状態になっても、その辛さを他の物で昇華させて、解消をさせて、また今までの生活が可能です。つまり葛藤状態からの辛さだけで心のエネルギーがマイナスになりませんし、葛藤状態からの辛さを、他の何かの楽しさで中和できます。心のエネルギーレベルを元に戻すことも可能です。心のエネルギーが低い人、無いに近い人では、葛藤状態からの辛さで簡単に心のエネルギーがマイナスになってしまいます。その時点で辛さからの回避行動をはじめてしまいます。

その葛藤からのとても辛い辛さから、純一君はマイナスになり、担任ばかりで無く、学校のあり方や、学校という概念にまで、恐怖刺激を学習してしまいました。fecosが学校で、学校を見たり意識をすると辛くするfecorを学習したのです。