登校拒否と不登校 4

子どもの姿がどの様であっても、つまり学校に行こうとしない子どもの姿、言葉では学校に行きたいと言いながら学校に行こうとしない子どもの姿に登校拒否という言葉が当てはまります。其ればかりで無く、学校に行きたくないと言いながら学校に行っている子どもにも、登校拒否という言葉が当てはまります。

叉、とても信じられないでしょうが、子どもが大人と同じような心の病の症状を出している場合も、殆どすべての子どもで、その子どもの心の奥底では登校拒否なのです。学校が辛いと言う学校を拒否をする心が、不思議なことに大人と同じような心の病の症状を出してしまうのです。ですから子どもが大人と同じような心の病の症状を出している時は、子どもが学校を拒否空いていることを心の病の症状で表現していると考えられるのです。

それだけで無く、子どもが陰で学校に行きたくないと言いながら、元気に学校に行っている場合も、登校拒否の可能性があります。見かけは元気で、学校生活を楽しんでいるようでも、心の奥底では学校を拒否している場合です。これをよい子を演じていると表現されます。よい子を演じている子どもと、普通の子どもで良い子の場合と、その姿を見ているだけで区別をつけることが出来ません。それ故に多くの先生や親や大人は、子どもが元気な子どもで有り、問題が無い子どもと理解します。

学校に行こうとしない、本当は行けないのですが親や大人の力で学校に行っている子どもを理解するには、不登校という言葉で無く、登校拒否という言葉を使った方が、より子どもの心を反映していると考えられます。ただ、既に不登校という言葉が行き渡っています。ですから、不登校の子供の心を考えるときには、不登校という言葉を登校拒否という言葉に置き換えて考えてあげる必要があります。