>これは嫌悪刺激を学習して、その嫌悪刺激が何から起こっているのかがわかるようになる、と言う事でしょうか?
意識、知識の上で、嫌悪刺激が何か分からなくても、何が原因で辛くなるのか分からなくても、回避する方法を学習するという意味です。
嫌悪刺激でも、その嫌悪刺激から逃げられたら、その結果として、今子どもの周囲に嫌悪刺激がなかったら、そのほかの所に嫌悪刺激があっても問題ないことはおわかりですか?

>それを学んで、以後は嫌悪刺激を受けないように自分自身で回避能力をつけると言う事でしょうか?
そうです。其れが大切なことです。逃げると言う事が大切です。
嫌悪刺激から逃げるだけで無く、心のエネルギーが大きくなれば、その嫌悪刺激を無くする方法まで工夫をし出します。挑戦を始めます。

>うちは、刺激を受けるとお腹が痛い。と訴えます。
>それを学習して、いずれは自分でなぜそうなるのか?どんな時にお腹が痛くなるのか?を、回避する能力を体得すると言う事でしょうか?
子どもでも、大人でも、理解できる嫌悪刺激ならその通りです。子どもには子どもで理解できない嫌悪刺激が多いです。その様な嫌悪刺激では、嫌悪刺激を回避する方法を身につけるということはありません。
大人では、嫌悪刺激が何か、理性的に知ることが出来る場合が多いです。その場合には回避する能力をつけようとしますし、出来ます。ただ心が辛い大人では、其れも無理ですが。

子どもを考えるときは、子どもの心が元気か、元気で無いかで考え方が、対応の仕方が大きく異なります。心が元気な子どもでは、今大人が持っている常識が当てはめられます。心が辛い子どもでは、今大人が持っている常識が当てはまりません。多くの場合、大人の持っている常識の逆が当てはまります。