勉強を始めたについて

>友達の「受験が終わったら」と言う話に刺激を受けたように思ったんですが、もしかしたら、本当に勉強へと向き始めているのかなとも思いました。
登校刺激を受けたことは間違いありませんから、子どもも勉強の話を始めました。

子どもが勉強に話しをすると言うことは、心が元気なら、勉強をしたいという意味になります。子どもの心が勉強が出来るぐらいに元気になっていたら、母親に勉強をしたいという前に、自分から勉強を始めます。敢えて母親の前で勉強を始めません。

心が元気出なかったら、勉強をしたいという言葉を使うことで、母親が勉強に対してその様に思っているのかのテストをしたことになります。この子どもの場合、母親の目の前で勉強を始めて居ます。勉強をするんだという言葉の代わりに行動で示しています。母親の反応の仕方から、母親がどれだけ子どもに勉強を期待しているのかを感じ取ります。

心が辛かったら、友達の話の後で、子どもは荒れるはずです。このような子どもの姿になることはありません。

ある不登校の子供を育てた経験のある母親が、子どもの母親が勉強はしなくていいと言っても子供が勉強したので、子どもの本心では無いかと言われました。行動で勉強する事を示したので、子どもの本心は行動から判断するという見方から言うなら本心と理解できるという意味です。

所が前記の方に、子どもが本気で勉強をしたいのなら、子供の本能から、子どもの自然態から勉強をしたいなら、敢えて母親の前で勉強を開始いないで、その気になったときにさっさと始めます。それ故に演技、よい子を演じたと理解するのが良いでしょう。

母親は逃げ道を作ってますし、この母子の間には、しっかりとした親子の信頼関係が出来ていますが、それでも子どもは未だ母親をテストする場合もあります。それほど子どもは学校を忘れられないのです。いくら辛い学校でも、学校に行くべきと言う思いを捨てられないのです。特に義務教育という言葉を知っている子どもは、学校=子どもの義務と感じます。この義務教育という言葉の存在が、知的な子どもの心をどれだけ拘束して居るのか、親は、大人は知っておくべきでしょう。