見守ると言う言葉について

ある不登校の子供の母親の言葉です。

>相談に乗って貰っている専門家が子どもについて、焦らないで見守りましょう、と言いました。

焦らないのなら、子どもを見守る必要が無いのです。その意味で矛盾した言葉ですね。焦らないで子どもに任せましょうなら、分かるのですが。

不登校の子供の親は、子どもの将来にとても不安です。子どもが学校に行かないで大人になることを知りませんから、ほかの子どものように学校に行って欲しい物です。何とかして学校に戻したいと焦ります。それは日本の母親として共通して居ます。ですから焦るなと言う方が無理です。それすら知らない人が不登校問題の専門家と称して、相談者から相談料を取るのは本当におかしいです。

また見守ると言う言葉は子どもから目を離すなと言う意味でしょうから、子どもは母親からの視線を感じるととても辛くなります。子どもが母親の暴力などの問題行動をしてしまいます。不登校で心が辛い子どもは自分を理解しない母親から見つめられたくないのです。見つめられると、母親から早く学校へ行けと急かされているように感じるのです。

不登校で心が辛い子どもを見ないでおくというのは、母親にとってとても不安です。子どもが何をしているのか、何をし出すのか、分からないからです。子どもの姿を見ることで、その後何が起こりそうか、母親は知りたいからです。その様な母親の思いを子どもが感じ取ったときには、子どもは母親が自分のことを分かっていないと、自分が母親にとってだめな子どもだと思われていると、反応をしてしまいます。

不登校の子供の母親から数多くの相談を受けていますが、多くの母親はこの子どもを見守ると言う言葉を使います。その場合、母親は不登校の子供に学校に行かす対応をしないとき、学校に行くのを待つという意味で、見守ると言う言葉を使っているようです。不登校の子供の母親なら、もっと素直に、子どもが学校に向かって動き出すのを待つと表現すれば良いのにと、思うことが多いです。