母親への拷問1

お答えする前に、芥川龍之介蜘蛛の糸を連想してください。お釈迦様が母親で、蜘蛛の糸が母親からの救いの手です。子供は罪悪人ではないですが、不登校という地獄で苦しんでいる人にたとえます。例えは子供を救い出す方法を蜘蛛の糸にしましたが、現実の子供を辛さから救い出す方法は全く異なりますから、小説の内容にたとえないでください。

子供は不登校という地獄で苦しんでいます。母親が蜘蛛の糸を子供の元に下ろしてもその蜘蛛の糸は細すぎて、役立たないのです。現在の母親が持って居る蜘蛛の糸は細すぎて切れやすかったり、とてもそれをつかんで地獄から這い上がれるような物ではないのです。子供は言葉にしないですが、母親も地獄に落ちで一緒に苦しんでくれることを求めて居ます。地上で子供を救うために蜘蛛の糸を垂らしている母親を許せないのです。ことあるごとに母親を地獄に引きずり込もうとします。地上で子供を救い出そうとする母親を子供は許せないのです。母親も子供がいる地獄に一端落ちて、母親と子供とが手を携えて、地獄から地上に這い上がる事を求めて居ます。

これはあくまでも例えです。しかし不登校の子供にとって、自分が地獄の苦しみをしている間は、母親が楽にしていることを許せないのです。今自分が苦しんでいる辛さを、母親と一緒に苦しんで貰いたいのです。子供の苦しみに共感して欲しいのです。そして子供の苦しみに共感している母親を感じ取って、母親の母性に守られて、苦しみから抜け出したいのです。

私には経験がありませんが、母親が子供と一緒に苦しまないで、子どもの不登校問題を解決できた例はありません。もちろんその様な症例の相談を受けていないからかもしれませんが。その様な症例ですと母親だけで解決できるのかも、出来たのかもしれません。そして私が相談を受けるのは、母親も苦しみ抜いて、つまり母親も子供がいる地獄に落ちて、どうやって地獄から抜け出せるのかの相談ばかりです。母親だけが地獄に落ちないか、地獄に落ちても母親だけが先に地獄から抜け出せてその後子供を地獄から救い出せた例はありません。私が経験した例は全て、母親が子供のいる地獄に落ちて、子供を小脇に抱えて、急峻な地獄の壁をよじ登ってくださった例ばかりです。小脇に抱えてと書きましたが、母親が子供と一緒に地獄の壁をよじ登ったと書きましたが、どちらかというと母親と子供とが手と手を取り合って、一緒に上ったという感じが当てはまるかもしれません。
子供は本当に母親に優しいです。母親が自分と同じ立場で、即ち同じ地獄で、一緒に苦しんでくれると、子供は母親を助けながら地獄の壁をのぼってくれます。それは頼もしいです。

私の言いたいことは、母親が最後まで子供と一緒に苦しまなければ、子どもの不登校問題は解決できないことを例えて言いました。子供が地獄の壁を上りだしたから、母親だけ一抜けたと、さっさと地獄から抜け出したときには、子供は母親の足を引っ張って、二人とも元の地獄に落ちてしまうのです。このように子供が母親の足を引っ張るのを子供が悪いとしたなら、子供は地獄から抜け出せないのです。子供があたかも何とかして母親を自分のいる地獄に落としたいとします。この事実はどうにも出来ない事のようです。

母親以外の人が地獄にいる子供を地獄から救い出せるかどうかの問題があります。時間とともに子供は少しずつ地獄の壁を上ってくれる場合もありますから、また他人の手を借りて、地獄の壁の途中までたどり着ける場合があるようです。しかし完全に地表までたどり着くにはとても幸運な子供しか出来ないようです。場合によっては母親を全く別の地獄に突き落とす子供すら出てきます。