母親への拷問3

>そんな現実の毎日に、いくら心が辛いからこうしている、それだけで何年も先も見えないこの状態に
何年も先が見えないのは、解決に向かっている不登校の子供でも、不登校にならないで学校に行っていく子どもの多くも、同じだと思います。
解決に向かっている不登校の子供の母親は、子供の将来が見えなくても、子供の将来は子供に任せたよと、何かあったら教えてね、その時は母親として出来ることをするからと、見えない将来を信頼している子供に任せています。どの様な将来が来ても受け入れる覚悟が出来ています。

学校に行っている子どものある割合は、と言うより多くの子供達も何年も先が見えているのでは無いはずです。只子供が学校に行っているという事実で、何年も先が見えなくても、親が安心しているだけです。確かに先が見えなくても何とか大人になってくれると信じているという事実はありますが。母親は不登校問題で悩まない代わりに、受験戦争で悩まなくてはなりません。それでも悩む時間に限りがあると言う点で、不登校の子供への対応と違っているかもしれません。

先が見てないという点では、多くの学校に行っている子どもについても、見えない先が限定されていますから、不登校の子供の先が見えないと言う事と異なるかもしれません。しかし別の見方をすると、不登校の子供の先が見えないと言う事は、不登校の子供の将来にいろいろな可能性があると言う意味でもあるかもしれません。今までの私の経験でも、学校に行っている子どもと同じような将来をつかんでいる子供もいますし、その子どもが持つ特別の能力を発揮して社会で活躍する子供も出てきています。その様な不登校を経験した子供は、只運が良かったと言える場合と、蜘蛛の糸のように母親が子供がいる地獄に飛び込んで、子供と一緒に地獄を抜け出した例です。

先が見えていることの考え方として、レールの上を走る列車のように例えられるかもしれません。学校に行っている子ども達は多くの場合親が敷いたレールの上を歩んでいます。親が敷いたレールの先を親は見ています。でも親が敷いたレールの上を歩み続けられるかでしょう。多くの場合そのレールから別のレールの上を歩まなくてはならなくなります。もちろん其れで良いのですが、一番大きな問題点は、そのレールが終わってからの生き方を身につけていないという問題点があります。親はそこまで考えないで、子供の将来が見てていると判断しているのです。この感じ方は半世紀前の学校のあり方、日本のあり方から来ています。当時は高校や大学に行かれる人は一部の選ばれた人でした。高校卒業や大学卒業と言うだけで、職業が待っていて、一生保証されたような傾向がありました。所が今は全く異なってしまっています。この時代の学校のあり方を現在も多くの親が持ち続けているようです。

>待っても、
待たないと、不登校の子供の心は回復がないのと違いますか?
待たないで子供を学校に向かって動かすと、どの様になるのかきっとご存じだと思います。ご存じだからここまで待たれたのだと思います。待ちくたびれて子供を学校に向かって動かすかどうか、それは親の問題です。それから先はここでは触れません。

>心の底からいつまでも何年かかるか分からないのを待てる母親なんてどれくらいいるでしょうか。
多分いないでしょう。仕方がないから待とうという親が多いと思います。

>心の底から子供はこれでいいのよ~なんて思っていられる母親なんているか。
これはかなりの数の母親がいます。子供が不登校の地獄で苦しみ続けて、その結果母親も対応の地獄で苦しみ続けて、何かのきっかけで子供の苦しみを感じ取れた母親が、子供のいる地獄に飛び込んで、一緒に地獄から抜け出せたら、地獄から抜け出せただけで良い、その子供がその子供なりに将来に向かって動き出したなら、其れで良いと、これで善いよと思える親と子供とは、その子供の将来を子供自身が開いてくれるという経験的な、そして脳科学的な事実があるからです。

>だからと言って自分の不安から子供を動かそうとするのは確かに良くないが、その上、心の中でも子供にイライラしてはいけないと言われる。子供に伝わるからと。これはもう母親にとっては拷問ですよ。
この文章通りだと母親にとって拷問ですね。叉イライラする母親は子供にとっても拷問になります。イライラする母親を子供は見たくないです。それ故に子供によっては母親に向かって荒れたり、母親を避けて自分の部屋に引きこもります。母親の方でも、不登校の子供を見ないとイライラしない母親もいるでしょうし、子供を見なくてもイライラする母親もいるでしょう。あるときはイライラし、あるときはイライラしないという母親が多いように思います。母親がイライラするときは、思い切って子供から離れて、子供を忘れようとなさることだと思います。どの様にしたら子供を忘れられるかはここでは述べません。

この時、現象的に母親がイライラするのも仕方がないです。イライラする母親自身を母親がどの様に対処するのか、それも母親としての意味合いを決めることになります。このMSGだと、母親がイライラすること自体を否定する場合の話しですね。それでは母親がかわいそうです。母親の地獄になります。イライラする母親を誰かが認めて、母親がイライラする自分を子供の立場で見なせるように手助けしてくれる人が欲しいですね。子どもの心に沿って見直せたら、母親もイライラしなくなるからです。母親がイライラしなくなると、子供の本能から子供から母親に近づいてきますから。