(心が辛い子どもからの)テスト

不登校などで心が辛い子どもにとって、母親から守られているという安心感はとても大きな情動の接近系です。トラウマの辛さを打ち消されるほどの強さがあります。ですから子供は成長のために(動物の子供でも)母親からの信頼感を求めます。心が辛い子どもでは、心の辛さの解消のために、母親からの信頼感を求めます。不思議なことに母親と子供との間に信頼感があると、子供は母親と一緒なら、火の中、水の中に入っていけます。母子心中の祭の、子どもの心の動きです。

その辛い心を解消して元気な子供になるのに、母親からどれだけ信頼されているかを、子供がテストすることがあります。そのテストとは、子供は意識的に母親をテストして居るのではありません。結果的に母親へのテストになっています。心が辛い子どもへの母親の対応として、私たちも母親から子供への信頼感をどうやって取り戻すか、苦労をしています。はっきりと言いますが、母親の子供への信頼感は母親が持つ母性から生じていると判断されます。母性が機能をしない母親、機能をしていても母性の機能が弱い母親は、ほぼ間違いなく、母親の子供の子育てについての知識=常識が優先して、この知識から子供を見て子供に関わっています。母性が機能をしないようです。

心が辛い子どもが問題行動をする場合、常識ではその問題行動を止めさせる、ですが、その常識がかえって子供を辛くして、子供の問題行動を強めてしまいます。心が辛い子どもが問題行動をする場合、非常識ではその問題行動を止めない、許す、となります。すると子どもの心の辛さが軽減して、子供の問題行動が減ってきます。情動がその様に出来ているのですから、そこには理由はありません。

この子供の問題行動を母親の子育ての知識から行える母親なら、其れでも良いですが、常識の知識を持っている母親ならそれが出来ません。母親の常識から対応をされた心が辛い子どもは問題行動を止めないばかりか、その問題行動を強めてしまいます。これも情動がその様に出来ているのですから、説明のしようがありません。心が辛い子どもなら、多くの場合、この関係が成り立ちます。ほぼ成り立つと考えて良いのでは無いかと思います。常識からの言葉で言うなら、心が辛い子どもの心は あまのじゃく のように見えます。

この常識の言葉であまのじゃく的な心が辛い子どもの反応の仕方を、心が辛い子どもから母親へのテストと表現しています。今後不登校問題の中でのテストと表現している場合には、この子どもの心の反応を指していると理解してください。そして子供は決して母親をテストしようとしてテストをして居るのではない、子供の心が辛いよと訴えている事への母親の対応の仕方が、テストという見方で、考えるとその対応法が見えてくると言う事です。


>例えば、親に財力があって、子どもが数百万円もする車や、もっと言うと家を欲しいと言ってきた場合、親が経済的に可能であれば笑顔で即答して買ってあげることが、不登校やひきこもりの子どもに効果的なのでしょうか?
をテストという言葉で考えて見ます。不登校の子供が母親をテストするからには、母親に対して問題行動で無くてはなりません。財力があれば、母親は子供に金額が安い物を要求されても、その子どもの要求は母親にとって問題行動の程度は低いです。それでも笑顔で即座に買ってあげる事でテストへの合格になりますが、その合格の割合は極めて低いです。

それに対して金銭的に豊かで無い母親にとって金額が安い物でも、子供の要求はとても大きな問題行動です。それでも母親が笑顔で即座に買ってあげると、子供は母親にとても大きな信頼感を感じて、その問題行動を止めるようになります。テストを止めるようになります。ただしいっぺんに止めるか、その程度がどんどん減っていくのか、それは子供によって異なります。場合によってはそのテストを始めようとしたときにそのテストを引っ込める場合もあります。

財力がある母親に車や家を求めるとなると、これは母親にかなりの問題行動になります。子供が無意識に母親へのテストを始めたと考えられます。このテストに合格するために、母親は車を買わなくてはならないし、家を買わなければなりません。多くの人は損なバカな、非常識な、と思われますが、それがテストなのです。このような場合、子どもの心の辛さによって異なるので、全てでは無いですが、子供に車や家は要らないので、母親が買う行動に出ると、子どもの方でその母親の行動を止めることが多いです。つまりテストとは、母親が子供を信頼しているかどうかのテストで有り、その際に金額が問題ではないのです。

その金額についてですが、財力がある母親に、不登校で心が辛い子どもが金額的に安い物を要求して、母親が即座に笑顔で答えたとします。しかし子供はその要求した物が本当に欲しいわけではありません。そこで買った物をそのまま放り投げておくことが多いです。これは母親にとって辛い事です。その部分は問題行動になります。また、金額的に安い物を買った側から、叉次の金額の安い物を欲しがり母親が即座に笑顔でそれを叶えても、叉その側から同じ事が繰り返されると言う事は、母親にとってそのために時間を割かれるという、問題行動になります。やはりそれはテストなのです。