過干渉、過保護

>それと反対に、親の過干渉や過保護が不登校の原因と言う専門家が多くいますが、その点についてはいかがでしょうか?

過干渉、過保護が子供によって、母親によって、異なりますから、その意味を理解しながら考える必要があります。過干渉は子供の求めない親からの干渉を言うのだろうと思います。過保護という言葉は分かるのですが、子供に対する過保護とは、やはり子供が求めない母親からの保護を母親が子供にすると言う意味では無いかと思います。

子供への干渉自体が、子供の主体性を奪う物になりますから、多くの子供では好ましいのもではありません。しかし子供が特別優れた能力を持っていて、その能力を極限まで母親が伸ばそうとするときには、その程度により干渉、過干渉を生じます。この場合には結果が悪ければ、干渉や過干渉が問題になりますが、結果が良ければ、干渉、過干渉は、オーケー、人々から褒められることになります。

ただし、あくまでも結果が良ければであり、結果が出ない場合でも、子供がそれでその子供なりに成長が出来れば其れで良いですが、時には子供は母親に対して荒れたり問題行動をしてしまいます。

その場合、干渉、過干渉された子供は、学校に対して拒否反応を示すとは限りません。ただ、学校内の辛さに対する子供の耐性が弱まってしまう、その結果、学校内にその子供にとって辛いものが現れると、簡単に恐怖の学習をしてしまい、学校に反応をするトラウマも受けてしまう可能性は十分にあります。干渉、過干渉とは、言葉を換えて言うなら、親の思いを子供に押しつけると理解出来ます。

過保護と言う言葉からイメージすることは、子供を温室育ちにするに相当すると思います。普段から過保護にしていると、母親の側の生活はうまくいきますが、子供の社会生活の場である学校などでうまく成長できない可能性があります。

ここで言われている過保護とは、今まで順調に心も成長をしていたのに、何か子供に問題を生じてしまい、その原因から子供を守る、多くの子供にはしないことを母親がすると言う意味だと思います。順調に学校生活が出来ていた子供に、親の思いだけから、子供が希望をしない子供への保護をすると言う意味も入ると思います。それは子供の社会生活の能力を奪ってしまいますから、子どもの心の成長を阻害しますから、子供にとっては好ましくありません。しかしそれと不登校とは直接的に関係がないと言って良いと思います。、

子供が子供社会から子供が求めない保護をされると、子供社会からの問題をうまく解決できません。その結果その問題から逃げると言う意味で家庭内に逃げ場を求めたという場合には、確かに不登校になりますが、学校内の問題が解決したら、また学校に行かれることになります。

子供が子供社会から子供が求めない保護をされると、子供社会からの問題をうまく解決できません。その結果その問題をうまくかいけつできません。その時親が子供を家庭内に逃がしてあげれば上記の様になりますが、そのことについて親が保護しない場合があります。そうすると子供が学校で辛さが高じて、学校内の問題点から、登校を拒否するようになります。親が家庭内に逃げることを許可しなくても、不登校になってしまいます。この場合、親が折れて子供を家庭内に逃がしてあげれば良いのですが、親がそれを許さないと、子供は町中に逃げていき、犯罪に巻き込まれやすくなります。場合によっては命の危険があります。

他人から見たら過保護でも、子供にとっては子どもの心を守る良い対応になっている場合もあります。不登校の子供の場合、学校内に問題があり、その辛さを解決できない場合に、その子どもを家庭に守ってあげる場合です。これは子どもが求めて居ることですから、子供から見たら過保護では無く、必要な保護です。これは不登校問題の解決にとても重要な要件です。

いずれにしても、過干渉、過保護、と言う言葉だけから子どもの心の問題を解決しようとすると、その解決法自体が子供を苦しめることになりかねません。しかしそれが巷では公然と行われています。