不登校の子供の自己否定

小学校5年生からの不登校の息子です。現在中学2年生年齢です。その息子が言った言葉です。
「もう学校には行かない ニートになって自宅警備員になる」と、明るい表情でふざけながら話すことがありました。笑っていても辛く、自分の将来に絶望していると思います。「なんのために生きているのか、なぜ勉強するのかわからない ただ生きているだけ」とよく話します。泣いているときは、抱きしめながら大丈夫だよと話して元気づけました。

>「もう学校には行かない
母親の学校に行かなくて良いと言う言葉が、息子さんに届いてますが、それでも学校の話しをすることから、未だ登校に拘っています。母親からの学校に行かなくて良いと言う言葉だけを受け入れたけれど、息子さんの知識にある学校に行かなくてはならないと言う思いを打ち消していません。

ニートになって自宅警備員になる
自宅警備員とは家の中に引きこもりっぱなしと言う意味でしょう。その様な知識をきっと主として母親の言葉から、叉はネットから受け入れたのだと推測されます。自分で感じた素直な思いではないと思います。

>明るい表情でふざけながら話すことがありました。笑っていても辛く、自分の将来に絶望していると思います
母親の前でよい子を演じたという意味でしょう。このことから自宅警備員という言葉は、母親から受け入れた可能性が高いです。少しでも不登校という言葉を息子なりにオブラートに包んだ言葉で表現しています。
母親は学校に行かなくて良いと言いながら、不登校だと将来がない事を間接的に息子さんに伝えていたのではないかと、推測されます。ただ、母親が息子さんにどの様に言ったのか、具体的には文章にないので、分かりません。

>なんのために生きているのか、なぜ勉強するのかわからない ただ生きているだけ」
その結果として、母親の期待の答えられない自分を見て、「このような自分はだめな人間だ」と思う様になってきているはずです。そして自分を自分で否定して、自己否定と表現される心の状態になっています。ネットで否定されたのなら、このような表現をしないと思います。辛さを母親にぶつけますから、母親に辛さをぶつけないで自分にぶつけていると言う事は、母親に否定される言葉を受けていたはずです。もちろん母親は子供のために一生懸命なのですが、母親の立場で言葉を発していて、息子さんの心の立場から言葉を発していなかったはずです。

>泣いているときは、抱きしめながら大丈夫だよと話しました。
母親から否定されたので、その辛さが内に向かっています。その辛さを外に向かって、母親に向かって表現されたなら、母親の感じ方が違ったかもしれません。子供が辛いときには母親の共感とスキンシップですが、スキンシップはなさっても、息子さんに共感していらっしゃいません。大丈夫という母親の知識を息子さんに押しつけています。

子供の心が辛いときで、何か辛い経験して母親に訴えるとき、、多くの母親は「大丈夫」という言葉掛けをします。子供は大事部で無いから、辛いから母親に訴えています。そこで共感するなら、子供が辛いと言うことに共感して、「辛いね」と言ってあげるべきでしょう。「大丈夫」と言葉掛けをするのは常識で気です。心が元気な子供なら、「大丈夫」でも良いのですが、心が辛い子どもでは大丈夫で無いから母親に訴えているのです。それを「大丈夫」と表現されると、お母さんは分かっていない、辛い自分を認めてくれていないと、今の自分を母親から否定されていると、感じ始めます。とても元気づけを受け入れられる心の状態ではないのです。