社会性

>繭籠りで、場合によっては学校に行っている子供たちよりも社会性を身に付けられるとの事ですが、常日頃から学校に行き生身の人間関係に揉まれている子供たちよりも、どう考えても不登校引きこもりをして家族やネット友達など限られた人間関係しかない子供の方が、学校に行っている子供たちよりも社会性について劣っていくことはあってもそれ以上になることはとても考えられないんですが、繭籠りで社会性が身に付くとおっしゃられる根拠が、いまいちよく分かりません。

子供が身につける社会性とは、言葉で教えられる物ではありません。経験で覚える物です。学校でも道徳などで文字で教えますが、子供が文字で覚えたことを文字で表現できても、それを実行することは大変に難しいです。これについてこれ以上説明をしません。

学校に行っている子供自身が社会に接する機会とは通学の機会だけです。学校生活は教師への従属関係ですし、同級生とは子供社会の関係で、大人の社会関係ではありません。子供社会の人間関係は大人の人間関係に役立たないし、先生との従属関係は上下関係を認める極めて子供の意思を無視した関係です。つまり、子供が学校に行っている限り、学校内で大人の社会生活を学べないという意味です。

もちろんネットの中でも直接大人の人間関係を学べませんが、自分の目的を達成するために、そこにいる大人とどうやって付き合うかを学びます。そして自分の目的を達成するために、社会に出て行ったときに、その時大人とどうやって接するかを実験して身につけることが出来ます。

ネット環境で直に大人との人間関係を全て学べるわけでは無いですが、心が元気になったとき、少しでもと関われるようになったとき、そこにいる大人と上手に関わって、その子どもなりの社会性を伸ばすことが、広げることが出来ます。ですからもっと正確に言うなら、社会性を得られる下準備が出来ると表現すべきなのでしょう。

いずれにしてもゲームやネットに没頭して十分に楽しめていること、その結果としてネット上の大人との会話が十分に出来ていることが、必要です。その結果心のエネルギーを高めて、自分から自分の目的で家の外に出だすことが必要です。

繭籠もりでは社会性が育たないと感じられますが、実際の子供達はネットで社会性を得る準備をしていて、一部社会性を得ています。学校では、学校に来ないと子供の社会性は着かないと主張しますが、学校に来て身につける社会性とは、従属関係の社会性と、子供の間の社会性で、どちらも自立した大人になるには、極論ですが、役立たないと言って良いと思います.もちろん役立つ子供もいますが、あくまでもきほんてきにという意味です。