お答えします

先生のおっしゃるとおり不登校の分類1だったかもしれません。
しかし、強い登校しぶりに対して何度か怒って無理やり登校させました。
子どもの話しも聞かずに、仕事があるからと、無理やり学校に送り出しました。
帰ってくるとケロリとしていたので、単なる甘えかと思っていました。
今思うと、だんだん性格も変わってきて、話しかけても上の空で集中していない感じ、何を聞いてもどっちでもいい、何でもいいという返事が多くなっていました。反抗期の一種だと思い、きちんと対応してやれませんでした。夫婦仲も悪く、家でも安らげなかったと思います。本当に酷い親だったと思います。
そのような状況が何度か続いたある日、担任からの強い叱責を機に、行けなくなりました。それまで積み重なっていた辛く苦しい思いが、それをきっかけに耐え切れなくなったのだと思います。これまでの経験から親にも分かってもらえないという諦めもあったと思います。
学年が変わり、担任が変わりクラス替えがありましたが、何度か五月雨登校した後、全く行けなくなりました。この場合も不登校1でしょうか?
子どもに対してどう詫びればよいのか、どうしてあげたら良いのか分かりません。小学校低学年の子どもが昼夜逆転で1日布団の上で、起きてから寝るまで14~15時間ユーチューブでゲーム解説を見る毎日です。

>先生のおっしゃるとおり不登校の分類1だったかもしれません。
前回のMSGでその様に判断しました。只判断材料は頂いたMSGだけです。このようにもっと詳しい内容のMSGを頂くと判断は変化してしまいます。

>しかし、強い登校しぶりに対して何度か怒って無理やり登校させました。子どもの話しも聞かずに、仕事があるからと、無理やり学校に送り出しました。帰ってくるとケロリとしていたので、単なる甘えかと思っていました。
この状態でも未だ不登校分類1の段階でしょう。

>今思うと、だんだん性格も変わってきて、話しかけても上の空で集中していない感じ、何を聞いてもどっちでもいい、何でもいいという返事が多くなっていました。反抗期の一種だと思い、きちんと対応してやれませんでした。夫婦仲も悪く、家でも安らげなかったと思います。本当に酷い親だったと思います。
それでも未だこの状態では不登校分類1だったと思います。

>そのような状況が何度か続いたある日、担任からの強い叱責を機に、行けなくなりました。それまで積み重なっていた辛く苦しい思いが、それをきっかけに耐え切れなくなったのだと思います。
それまで元気に学校に行っていた子どもがこのような経験をして学校に行かなくなった場合、不登校分類2になります。
お子さんの場合学校が合わなくて学校に行こうとしていなかったのですから、きっと担任からの強い叱責の前にも、何度となく担任から叱責を受けていたはずです。また、友達から変わっているという理由で虐めのような物を受けていたはずです。もしそうだとしたら、お子さんは不登校分類3になっているはずです。それでも未だ無理をして登校していたのでしょう。そして担任の強い叱責でそれ以後学校に行かれなくなったと言う可能性もあります。
御母様の言われる強い叱責が、お子さんにとって強い叱責で無くて、只単に学校が嫌な要素でしたら、未だ不登校分類1になります。

>これまでの経験から親にも分かってもらえないという諦めもあったと思います。
母親に対して、この要素は子供ではありません。子供が家の中にいる限り、御母様に助けて助けてと言うサインを出し続けます。それを諦めなくてはならなくなった時には、ひどい荒れや、心の病の症状を出します。子供によっては家を飛び出すかもしれません。

>学年が変わり、担任が変わりクラス替えがありましたが、何度か五月雨登校した後、全く行けなくなりました。この場合も不登校1でしょうか?
五月雨登校と言う事は、お子さんが学校に行かなくてはならないと言う思いからの行動です。
御母様が止めてもお子さんが登校したのなら、不登校分類1の可能性が高いです。御母様が学校に行かせようとしてこうなったのなら、不登校分類3になります。
只朝自分で学校の用意をして学校に行ったのなら、どちらの不登校の分類の可能性もあります。

>子どもに対してどう詫びればよいのか、どうしてあげたら良いのか分かりません。
お子さんに、辛い学校に行かせてごめんねと言われて、その後お子さんをハグして、もう学校に行かなくて良い、家でゲームをしていなさい、と言われるので良いと思います。

>小学校低学年の子どもが昼夜逆転で1日布団の上で、起きてから寝るまで14~15時間ユーチューブでゲーム解説を見る毎日です。
辛い時間をこのようにして、癒やしています。この時間がある期間続きます。
不登校分類1の子供なら、このようにしている内に自分の特殊な能力を伸ばそうとする動きが出てきます。不登校分類3の子供なら、学校に反応をするトラウマが消失するまで、この状態が続きます。