子供を褒めて

>以前に子供の良いところを見つけて
>それをその子に伝える(褒めるのとは少し違う)ということをアドバイスによりしていました。その声かけ自体は今でも悪くないと思っているのですが
極めて常識的な発想ですね。心が元気な子供への対応法でしょう。心が元気な子供ならこれで良いです。つまり、子供は意識的な行動をしません。
多くの大人は、子供がそれをすると母親が喜ぶからと考えて、母親の喜びそうなことをすると、考えます。

子どもの心の中で実際に起こっていることは、たまたま子供がある事をする(子供は自分にとって嫌なことをしませんから、子供が何か報償を求めようとしないで行った)と母親が喜んだという事実(報償を得た)から、その子供がそのある事をすると言うことが、母親の喜びで(報償)条件付けられたのです。この条件反射がはじめは弱いのですが、繰り返すことで習慣化して、やがて母親の褒める言葉が無くても、そのある事を反射的にするようになります。躾という意味でとても良い対応です。

たまたま子供がある事をするのでは無くて、母親がそれをさせようとしてさせたとき、それが子供にとってとても辛い事なら、母親から逃げてしまいますし、母親がちらつかせる報償がそのことをする事の辛さより大きく感じたなら、子どもはそれをします。そしてその後に母親から大きな喜び(報償)を得たなら、それを繰り返すことで習慣化できます。

子供が辛くても母親がそれをさせようとするときによい子を演じてしまう場合があります。よい子を演じてしまう場合には、その子供の見かけと異なって、とても心が辛い状態になりますから、母親の症状の喜び(報償)では子供の辛さの解決になりません。

所が、心が辛い子どもでは、そのある事を子供の方からするという行動が期待できません。どうしても母親がそれをさせようとすることになります。その結果は基本的に心が元気な子供に母親が何かさせるのと同じですが、子どもの方で元々心が辛い状態ですから、母親が何かさせようとすること自体にとても辛さを感じてしまいます。母親から心が辛い子どもに何かさせようとすること自体が大変に難しいです。

母親が子どもの心を辛くする物から子供を守れていると、子どもの心は辛くないかそれほど辛くなくなっている場合もありますから、状況によっては母親から心が辛い子どもに何かさせると言う事が可能なこともあります。しかし一応無いと考えて母親は対応をした方が良いです。

心が辛い子どもに母親が何かするとしたら、それを子供を辛さから守るという対応が最優先です。