大人の議論

ある母親の子供Aが通う幼稚園での出来事です。Aと友達Bがおもちゃのことで喧嘩をしました。保母さんが仲裁に入って喧嘩の原因を詮索しました。

>保母さんが子供に「どうしてBが持って居る物を取ったの?」とか「どうしてそういう気持ちになっちゃったの?」と聞くことは、Aを責めていることになると思うのですが。
Aは夢中で遊んでいたのです。意識的にBの持って居る物を取ったのではありません。ですからいくら保母さんがAにこのように聞いても、Aは楽しみを追っていたら、たまたまBの物を取ったのであって、そこには特別な意図はありません。Aは保母からなぜ聞かれたのかも分からないし、何のことを聞かれているのかも分からないのです。ですからAは保母から虐められていると感じます。

>Aが通う保育園では、喧嘩した物同士で謝らせるということです。母親の話によると園では「トラブルあったときは、子供どおし、お互いの気持ちを、A君も悔しかったんだよね、とか、丁寧に聞いた上で、謝らせているとのことです。
大人から見たらAが悪いと判断されるのでしょうが、Aは悪いことをしたのではないです。Aが楽しく遊んでいたら、Bの物を取らざるを得ない欲求を生じて、取ってしまいましたと言う事実です。確かに物を取られたBは辛かったと思いますが、だからといってAを悪者扱いのするのは、子供の場合間違いです。お互いの気持ちとは、AもBも楽しんで居た。Aはもっと楽しむために、Bの物が必要だったので、それを得ようとした、Bは持って居る物をAに取られて楽しめなくなって、辛くなったと言う事実です。それ以外の理由はありません。その理由ですら子供は言葉にできませんから、トラブルの理由を聞く方が間違っているのです。丁寧に聞くとは子供から見たらしつこく聞かれるという意味になるでしょう。それだけで無く、Aにとって分からないことを、園側の理由を押しつけられて、それにも子供は反論が出来ませんから、最終的に園側の理由で解決したとされます。それは子供にとって不本意ですが、このようなことが繰り返されると、子供は園に、保母さんに、拒否反応を生じるようになります。

>それでも謝らせるということは、子供を否定することになり、いわゆる問題行動を強めることになるのですね。
大人なら、反省という理性的な心の動きがありますが、子供にはありません。子供の素直な思いが否定されて、園に対して子供の心が辛くなると言う事実が残るだけです。子供は意識をしませんが、あたかも保母から虐められたというような反応になります。

>子どもの心に共感して、丁寧に子供の話を聞いて、この喧嘩の原因を見つけて、喧嘩を解決すると言うのは、喧嘩だから、喧嘩を仕掛けた子供が悪いとすぐに叱るより良いのではないでしょうか?
大人から見たら、子どもの心を丁寧に扱っていると理解されると思います。所が当の子供、この場合はAですが、からいうなら、当の子供が感じてないことを感じていると押しつけられて、只無心に楽しんで居たことを否定されるばかりで無く、楽しく遊んでいたこと(Bの物を取った、大人の感覚では悪いこと)を否定されて、Aはとても辛くなったはずです。只、単純に大人の感情にまかせて叱られるのと変わりないか、場合によっては、Aは理由が無いのに叱られたと、虐められたと反応をして、心の辛さは単純に叱られたよりもっと辛い可能性があります。