共感とは

ここで言う共感とは心理学的な共感ではありません。子どもの心の立場からの共感です。

心が辛い子どもや人(一応クライエントと表現しておきます)が、相手(一応カウンセラーと表現しておきます)が自分と同じ感情(情動)を持っているとクライエントの情動が反応をする場合です。クライエントが理解出来なくても良いです。カウンセラーがクライエントと同じ感じ方をしていると、クライエントが感じ取ったときに、共感していると、共感の状態だと言えるのでは無いかと思います。その時、カウンセラーは自分の体の中に、カウンセラー自身でも予想もしなかった情動が生じる、体の中に地震のような何かの感覚を生じるようです。その感覚から、クライエントに向かい合うと、クライエントは共感されたと感じるようです。

共感が問題になるときとは、子供の心が辛いときです。ですから母親が子どもの心に共感すると言う事は、母親が子どもの心の辛さを直に感じてあげる事になります。言葉を含めて子供が体中に表現していることから、それを客観的に見るのでは無くて、子供と同じ情動を母親の体に表現することです。これは現実に不可能なことですが、母親ならそれに近いことが出来るようです。子供が納得するほどの共感が出来るようです。母親が子供への観察結果から子どもの心を言葉で表現するのでは無くて、母親が自分の体の中に表現された情動から、子供の心の代わりに自分の心から、その状態を言葉にして表現するとき、子供は母親に共感されていると感じるようです。

子供を観察して、その観察結果から、子供の辛さを言葉で表現することではありません。今の心理学では、子供を観察して、その観察結果から、子供の辛さを言葉で表現することを言うようです。このことを、共感的理解という言葉で説明しているようです。もちろん大人では、カウンセラーがクライエントから得られる情報を、言葉でクライエントに伝えることで、カウンセラーがクライエントの感じ方を心を理解したとクライエントが感じる事はあると思います。

ただし、それが出来るのはクライエントの心が言葉を、カウンセラーと同じ意味合いで理解出来る状態にあるとき(子供ではそれが出来ません)です。クライエントの心がもっと辛くなって、クライエントの心がカウンセラーが使う言葉の意味合いをカウンセラーと同じように理解出来なくなったときには、カウンセリングは成り立ちません。そこでカウンセラーは、カウンセラーが観察した結果をクライエントに押しつけることになります。「あなたはいま、つらいんだね」とか「あなたは~だね」と言う形です。

情動は潜在意識です。体に表現された情動を意識的に、経験に照らし合わせて、自分の感情を知ることが出来ます。それを言葉にすることが出来ます。カウンセラーは主としてクライエントが言葉で表現したことから、クライエントの感情を推測します。クライエントの情動ではありません。それでも言葉の範囲と限定された条件下で、情動の一部、感情をを知ることが出来ます。それも一つの共感の形でしょうが、限定された共感と言う事になります。