心が辛い3


不登校および引きこもりの中には、赤沼先生の分類1、分類2、分類3がありますが、分類1、分類2については、通常の学校に行かない(行けない、も含む)ことを辛いと思わない子どもや家庭(主に分類1のケース)や、フリースクールや適応教室に通えていて通常クラスに戻る必要性を子どもも親も感じておらず(主に分類2)、それを認められていて心が元気な子どももいると思います。
この説明はおおむね当たっていると思います。

>そのように不登校でありながらも心が元気な子どもが単に自分の楽しみ(接近系)のためにゲームをしている場合、子どもにゲームをしてよい、と言うと、ゲームをやめなくなりますよ、という理解で良いですか?
これはゲームをすることを否定的にみていらっしゃいますね。それも不登校をしながらゲームやネットを楽しんでいる子供を見てきていらっしゃらないから仕方がないのですが。
はっきりと言えることは、子どもの心につらさがなくなると子どもは普通の子どもに戻るということです。不登校で辛い思いをしている子供がゲームやネットに没頭するのと姿が異なってきます。ゲームで、ネットで勉強を始めるのです。本当に不思議です。そしてそこで得た知識からゲームやネットを卒業して(やめてとは言いません。)新しく子供が求めるものを求めて動くようになります。その求めるものの中に学校がある場合も結構あります。それを続けて、トラウマの反応が弱まると、子どもはゲームやネットをその子供なりに利用しようとしだします。

不登校の子どもがゲームに興じているのが、回避なのか接近なのかも親から見ただけでは分かりません。
不登校になりたて(親から見てでよいです)のときは、辛い心をゲームやネットで癒そうとします。つまりゲームやネット強力なは接近系として機能をします。ゲームやネットでトラウマの反応が弱くなると、ゲームやネットの強力な接近系の機能は薄らいでいきます。薄らいでいっても、時間つぶしに使うのか、ゲームやネットの中に何か学習するものを見つけるのか、それは子供によって異なります。

>学校に行けずに心が辛い状態を回避するためにゲームに興じている訳ではなく
このMSGの意味が分かりにくいのですが、学校にいけないという場合にはトラウマが機能をしています。トラウマが機能をして辛いはずですから、何かに没頭してトラウマの原因を忘れない限り、そのつらさを回避する方法はほとんどないといってよいほどです。

>学校に行っていなくても誰からも責められず母親に信頼され心が元気な不登校の子ども
つまりそのお子さんは不登校問題から解決できる状態になっているという意味ですね。この状態のお子さんでもすぐに学校に戻るわけではありません。子供なりに何かを求めるための下準備のために、ある期間お母さまのそばにいるはずです。

>単に接近系としてゲームをしている場合はゲーム黙認、ゲーム推奨にするとゲームをやめなくなりますよ、ということでしょうか?
子どもは心が楽になると、子どもが持つ本能が機能をしだします。その点が大人と異なります。大人ではオタクと呼ばれる状態がありますが、子どもではいつまでも同じ状態にとどまっていなくて、必ず新しい方向に動き出します。子どもの心のトラウマが消えて、子どもの心が楽になった場合、心が元気になった場合です。
それと同時に、接近系とは接近系が続くと、慣れを生じて、接近系が弱くなります。接近系の機能がなくなり、子どもはつまらない、何かすることはない、などと言い出します。

>それとも、大前提として、不登校状態にある時点で「心が辛い子ども」で、
心が辛くなければ、子供はその本能から学校に行ってしまいます。

不登校の子どもがゲームを長時間している、という客観的事実だけでも「回避系」と定義することができ、
回避系ではなくて接近系です。
子どもが不登校という辛さをゲームの接近系で相殺しているという意味です。

>その前提での逆行動の法則ということでしょうか?
この場合には逆行動の法則が当てはまらないようです。