24日朝、愛知県弥富市の中学校で14歳の3年生の男子生徒が同学年の男子生徒に包丁で刺され死亡した事件

24日朝、愛知県弥富市の中学校で14歳の3年生の男子生徒(A)が同学年の男子生徒(B)に包丁で刺され死亡した事件
この事件の詳細は報道されていません。この事件の一行の報告から、子供の心の問題を扱っている者は何を考えるか述べてみたいと思います。

子どもはほかの子どもを殺したり危害を加えることはありません。もしあったとしたら、それはその子どもの失敗で有り、大人のような打算的な意図は無いと言うことです。

まず、子どもには、新しい子を知るのを好む、同年代の子どもを好む、与え荒れた環境に順応しようとする本能がある、と言うことを考えると、Bはこの本能が機能をしていなかったと判断されます。子供の本能が機能をしないと言うことはその子供の心がとても辛い状態にあったという意味です。子供の心を辛くしたのはAでしょうから、そのAをBは攻撃しました。

なぜAがBを辛くしたのか報道はありませんが、BがこれだけAを攻撃するには、とても大きな辛さをAから感じて居た、多くは虐めを受けていたと推測されます。報道ではAからBへの虐めの報道はありません。きっと外見上はAとBとは仲良しとみられていたと思います。外見では仲良しでも、BはAに辛い虐めを受けていたと考えられます。但しその虐められていることをBは表現しなかった、出来なかったのではないかと思います。

このBがAに虐められていることを、学校の先生達は気づきませんし、言っても信じないと思います。Bの母親にきっと言ってあると思いますが、母親もそれを受け取ってくれていなかったのではないかと思われます。すると虐められて辛い子ども達の中には武装をして自分を守ろうとする子供が出てきます。全てではありません。鞄やポケットにナイフを忍ばせていたり、柔道やボクシング、空手を習い始めたりする子どもが出てきます。

Bは包丁を選択しました。Bの判断では、それほど辛くて身を守る必要があったのだと思います。Bは辛さから身を守ることだけしか考えられなくていたところに、報道ではないですが、Aから叉虐め(他人から見て虐めとは見えない、仲良しの遊びと見える)を受けたので、あらゆる良識が抑制されて、包丁を使う選択をしてしまったのだと思います。その包丁の使い方はゲームなどからの知識を参考にしたはずです。それはAを殺すのが目的でなくて、Aからの辛い仕打ちを交わすために仕方がなかった、Bはその選択しか思いつかなかったと言う意味でしょう。その結果がどの様な物になるのか、考えも付かなかったと思います。

きっと今のAは自分を守ったという安堵感と、事件になって警察沙汰になっていることが理解出来なくて、今周囲から受けていることに当惑していると思います。当然罪悪感はありません。

ニュースによると、学校側は問題点なしというような表現をしています。単に加害者の子どもが事件を起こした、子どもの問題だというような表現でした。所がAがBに虐めをしたとしたら、それは学校内に問題があったから、その学校内の問題をBに虐めという形でぶつけました。Bは学校内の問題で心のエネルギーを失い、Aの虐めのターゲットになり、逃げ出せなかったという事実があるはずです、.