娘の心、母親の心

10歳の娘です。不登校になって半年になります。不登校になってから学校のすすめで適応指導教室に通っていました。

>一ヶ月ほど適応教室を休んで、自分の部屋で漫画を読んだり絵を描いたりしています。
お嬢さんが素直な自分の感じ方を行動にしています。素直な自分で学校と関わろうとしています。その意味で良い姿です。

>昨日の娘との会話なのですが、適応教室で校外学習が二ヶ月に一度あり、
>娘「今度いつかな?」
適応指導教室の存在をお嬢さんが気にしている、登校刺激が家の中にあると言う意味です。

>私「適応教室行きたいの?」
>娘「別に行きたくない理由はないよ。今日お風呂入れたら明日行きたい」
きっと今日、お嬢さんは風呂に入らないでしょう。適応指導教室に行きたく無いのですから。

>私「じゃあなんで休んでたの?」
>娘「お母さんが行かせようとしないから、行って欲しくないと思って」と。
これはお嬢さんが行きたくないのに、御母様が行くようにと圧力をかけてきていたという意味です。
お嬢さんが行きたくないことを遠回しに表現していますね。御母様はそれに気づかれていません。それどころが適応指導教室の行きなさいと言うことを御母様も遠回しに行っています。

>行きたいなら、行くって言えばいいのに。
お嬢さんは行きたく無いのです。御母様は行かせたいという思いが、この言葉からにじんでいます。

>私が「行きたくないなら行かなくていいよ」と言ったのが、私が行かせようとして無いって娘が思ったのか
お嬢さんはこの言葉から、御母様が適応指導教室に行って欲しいと言う意味を感じ取って居ます。このメールからなぜお嬢さんが適応指導教室に行こうとしていなかったのか、それは分かりません。でもお嬢さんは適応指導教室に行かなくても、登校刺激を感じ取って居ます。

>そこの話し合いが足りないのか、娘は私の言う意見を聞こうとおもったのか…
御母様がお嬢さんを適応指導教室に押す力が弱かっただけだと思います。
当然お嬢さんはお母様の言う事、適応指導教室に行くかどうかの質問には、お母様をがっかりさせない方法で、拒否をしたと言う意味になります。

ここで注意して欲しいことは、大人同士の話しあいは互いの意見をすりあわせるという大切な行動です。相手を尊重するとても大切な方法です。
大人と子どもとの話し合いは、大人の意見を子どもに押しつけることになります。基本的に一般の大人と子どもとの同等の話し合いは、特別な場合を除いて無いと考えてください。

>お互いがお互いに言いたい事を我慢して遠慮してるのかもしれないなと思ったのですが
お嬢さんは御母様との会話を求めて居ないと思います。御母様の言葉から登校刺激を感じ取るから辛いはずです。
ここの会話でも、御母様は遠回しに遠慮気味に御母様の思いを押しつけていますが、お嬢さんはお嬢さんの言葉で間接的に自分をはっきりと表現しています。御母様はそれに気づかれていません。

>やはり行くエネルギーがあれば、親がどう言おうとやはり行くと自ら言いだすまで、待つ方が良いですよね?
今のままで適応指導教室へエネルギーが出てきません。適応指導教室に行くエネルギー自体がないようですから。自分から行くとは言わないと思います。きっと御母様の方が待ちきれないと思います。もっと強くお嬢さんを適応指導教室に押すようになると推測されます。

>結局、今朝は起きれず行けなかったのですが、明日も行けたら行くと言ってます。
この言葉でお母様は明日に期待を持たれたと思いますが、お嬢さんは明日も行かないという意味です。お母様に優しいお嬢さんは目の前のお母様をがっかりさせたくなかったのです。

>母親の私が娘に声かけするなら、なんといったら良いのでしょうか?
御母様にとても辛い事を申し上げますが、今の御母様は声がけをしない方が良いです。今の御母様はお嬢さんの心を誤解して、お嬢さんの心を、まるで大人の心のように見ていらっしゃいます。御母様は御母様の思いを一端全て捨てて、御母様の母性からお嬢さんの姿を見る、つまりお嬢さんの心(言葉でなくて、行動に表れます)に沿った理解をする必要があります。