不登校分類1

不登校児に対して「家庭に問題がある。愛情不足だ。」と言う学校側の言い分は、ある意味正しくもあるのですね。親が積極的に子供を休ませてあげない事が原因ですね。
義務教育なので小学校へは入学しました。が、結局不登校になりました。
親は、自分の過ちについて自分を責め続けるしかありません。常識や世間体、幼稚園や学校の圧力に屈し、子供の気持ちや親の気持ちを第一に考えてあげる事はできませんでした。
学校や教育委員会の言う事を聞いても、学校も教育委員会も、子供の命を守ってはくれません。
学校に行かせないのは虐待だ、保健師や民生委員に連絡する、児童相談所に通告する、などと言われても気にする事などないのです。今は幸いな事に、豊かな時代です。勉強しようと思えば、子供は簡単に必要な情報にたどり着く事ができます。学校に行っていなくても学ぶ事はいくらでもできます。
公教育の在り方に限界を感じています。

お母様の表現が特徴的で、ブログに書かせて頂きました。

不登校児に対して「家庭に問題がある。愛情不足だ。」と言う学校側の言い分は、
学校側の言葉を巧みに利用して、お母様の失敗談を表現なさいましたね。

義務教育なので小学校へは入学しました。が、結局不登校になりました。
不登校分類1ですね。子供の心の成長を待てば、子ども社会で成長できることも児成れると思います。

>学校や教育委員会の言う事を聞いても、学校も教育委員会も、子供の命を守ってはくれません。
子どもの命、子供の心を守ってくれないようです。

>学校に行かせないのは虐待だ、保健師や民生委員に連絡する、児童相談所に通告する、などと言われても気にする事などないのです。
最近は子どもの安全確認という法律を盾に、親を攻めて来ると、親だけでは子供を守る対応が難しいことがあります。

>今は幸いな事に、豊かな時代です。勉強しようと思えば、子供は簡単に必要な情報にたどり着く事ができます。学校に行っていなくても学ぶ事はいくらでもできます。
その意味では、親次第で不登校問題は問題にしなくて良くなります。でも日本の常識では叉通用しないという現実があります。

>公教育の在り方に限界を感じています。
教育行政を換えるには、教育学者、心理学者を変える必要があると私は判断しています。