ここのエネルギー追加

>トラウマの消失は、エネルギーが爆発して飛び出していく姿、母親や家族を巻き込み竜巻のように自分を試していく姿がないととトラウマの消失とは言えないものでしょうか?
そうです。ただし、子ども発の意思があるときには少しぐらいトラウマが残っていてもトラウマは機能をしません。子ども発の意思で成功体験をする、続けることでトラウマは消失してしまいます。
どちらもトラウマが機能をしないので、トラウマが消失したのと同じ結果になります。トラウマが消えたかどうか分からないときには、子ども発の意思を発揮できるようにしてあげると、トラウマによる問題は解決します。

>その向かった先は必ず学校や就労といった登校刺激の場、社会である必要があるわけではないとも言えますか?
登校刺激がある所に居合わせても(自分発の意思でなくて)トラウマが反応をしなければトラウマは消失したと考えられます。

>義務教育中の次男と、義務教育から外れて4年経つ長男とではトラウマの消失の姿は違うものになる可能性もあるということでしょうか?
質問の意味と異なっているかもしれませんが、子どもが違えばその時経験している経験やトラウマの強さが異なります。ですから、その時機能をしているトラウマの強さは異なります。弱い方が早く消失します。ですから、長男の方、次男の方と、それぞれに考えて、比較をしない方が良いです。

>以前、爆発的エネルギーを持って動き出すと必ず気付くとおっしゃっていましたが、高いエネルギーを感じているだけとは違う意思からの行動が毎日起こる、そんなイメージでしょうか?まだ想像もできないことなので家にいるうちはまだだなあと思いながら、過ごしています。
高いエネルギーを感じると言うことは、今までに無い心のエネルギーを感じていらっしゃるけれど、爆発していないから、爆発的なエネルギーではないと考えられます。子どもの場合、爆発的なエネルギーがあれば爆発的な行動をします。つまり子どもの場合、爆発的な行動をする事が爆発的なエネルギーがある事になります。エネルギーは行動に表現されます。一体だと考えてください。
情動の接近系が心のエネルギーです。情動の接近系は行動で表現されるからです。行動で表現されない刺激は接近系を誘発していない、心のエネルギーが機能をしていないという意味です。物理的なエネルギーは機能をしていなくても存在しますが、心のエネルギーは機能そのもの、行動そのもの、表現そのものなのです。物理的なエネルギーは表現しなくても秘めていることは出来ますが、心のエネルギーは表現されて初めて心のエネルギーなのです。その表現された行動から心のエネルギーの大きさを考えることが出来ます。受ける刺激で行動が異なります。それにより心のエネルギーが異なります。ですから、心が辛い子ども、心のエネルギーがマイナスな子どもでも、例えば楽しめるゲームなどに没頭しているときには、心のエネルギーはプラスになります。止めたらこのプラスのエネルギーはなくなります。学校をも出すなどの登校刺激を受けるとたちまちマイナスの心のエネルギーになって、体に辛い症状が出たり、荒れたり問題行動をしてしまいます。