退学、荒れ、安心感

退学というのは学校を辞めるということであり学校にどうしても行けない子どもにとっては安心する嬉しい話しだと思うのですが、なぜ退学の話しをきっかけに荒れてしまうのでしょうか?
退学の話しをしたらほっとして嬉しくなるのではないですか?

心の構造を考えてくださると説明出来ると思います。心には知識の心、習慣の心、情動の心とあります。今、習慣の心は関係していないので、知識の心と情動の心で考えます。
退学という言葉からの情報はまず情動の心で安心感を体全体に表現ししますが、それを安心感と理解するのは知識の心が体全体に表現した安心感を記憶に照らし合わせて安心感と理解するのですが、安心感と理解する前に、退学という言葉は、知識の心にある学校に行かなくてはならないという知識を否定することになり、知識を否定されたという否定の情動が情動から表現されます。その結果知識が否定されたと言う事から、情動の心が否定されたという反応として、荒れてしまうのですが、荒れが一段落すると、荒れで隠されていた安心感からの体全体に表現された安心感を表現した体の変化を、意識の心が認識して、否定されたことを無視して安心感に移行をしていきます。