不登校になれても

不登校になったとたんに、親は、子どもが、社会から置き去りにされて、離されたように感じ、絶望するけれど、子どもは学校に行かなくてよくなったその瞬間から、こころに溜まったダメージの回復がはじまる、そんな記事を目にしました。
このMSGをくれた人は、このようなことを言う人が居ると言う意味で教えてくれたのだと思います。一見正しそうで大きな間違いがあるMSGという意味を指摘されたかったのでしょう

子供が学校に反応をして子供を辛くするトラウマ=fecorを持ってしまったのが不登校の子供、叉は不登校になっていないけれど学校に行きにくい子供の心=体は学校に行っているけれど、心は既に不登校の子供です。

心に関しては不登校の子供は学校に行っていても、行って居なくてもとても辛い心になっています。外からその様には見えなくても、死んでしまいたいぐらいに辛いのです。ですから、心は不登校だが学校に行っている子どもが突然電車や自動車に飛び込むことがあります。それもかなりの数です。子供が遺書を書いてないので、うやむやにされています。しかし原因が分からない子どもの自殺の大半はこれでないかと推測しています。

fecorを持った子供が学校に行かなくなると、学校そのものがfecorをさせますから、学校に行くよりは心が辛くなくなります。しかし家の中に学校関係の物が沢山あるはずですし、両親からの学校に行って欲しいと言う思いが子供に伝わり、子供は学校に行っているのと同じ辛さを感じているはずです。

学校に行かないで家にいて、ゲームやネット、漫画、youtubeなどの享楽的な遊びをしている時間帯は、親からの登校刺激を忘れています。ですから子供はとても楽になります。これらで登校刺激を忘れていられる時間に、子供はとても楽になります。場合によっては不登校前の自然な子供の姿に戻っている場合もあります。

ゲームをしていて、親からの登校刺激を忘れられても、部屋の中には学校関連の物があるはずですから、目を画面から外すと、fecorが反応をしだして、子供はそのfecorの反応からイライラしながらゲームをする事になります。ゲームをしないよりはイライラは減りますが、ゲームをしていても辛い事には変わりありません。ゲームに負けるなど、子供にとって辛い事が起きると、その登校刺激と相乗効果を生じて、ゲーム機を壊したり、周囲の物を壊したりすることがあります。

不登校の子供の心には必ずこのような反応が起きていますから、
>子どもは学校に行かなくてよくなったその瞬間から、こころに溜まったダメージの回復がはじまる
ことは特別の場合しかありません。きっとこのダメージという言葉で心の辛さという意味を表現していると思います。学校にいるよりは心の辛さが減るでしょうが、その辛さは学校にいるときと殆ど同じだと考えて対応をする方が、対応に間違いが無いです。