不登校になれて2

>親は子どもが、不登校になってしまいそうなとき、なってしまった時から、学校に戻すことを必死に考えてしまいがちですね。
日本文化の親はその傾向が強いです。日本文化の親は、子供が学校に行かないと子供は人間として認められないように、子供に将来がないように、感じて居るのですね。昔からの学歴社会の影響が未だに強く残っていると言う事なのだと思います。

>でも、休むことが一番
学校に行くことで、直接的に、もろに登校刺激を受けます。

>さらには、登校刺激をできるかぎり除いてあげる
多くの母親にとってこれが結構難しいのです。登校刺激と言われても、具体的に何が登校刺激になるのか分からないと言うか、登校刺激と分かるものを取り除いても、母親では気づけない登校刺激が残っていることが多いという現実があります。

>母親の無条件の優しさに癒されることがなによりの処方箋だと思っています。
子供にとってとても大きな接近系です。登校刺激を受けて生じる辛さを軽減してくれたり、無くしてくれます。

>薬ではないのですが、私が作った飲み物を、こころが落ち着くからと、辛い時期に進んで飲んでいました。本当に少しは落ち着くのだと感じました。
その様な子供と母親との関係が良いですね。
母親自身が子どもに登校刺激を与える場合には、子供にこのような姿はありません。それどころか母親を拒否して、母親に向かって荒れる場合があります。

>家や家具を破壊したり、
この場合には、母親で辛くなっていると言うより、父親で、日本文化で子供が辛くなっている姿と考えた方が良いです。

>親を攻撃したり
攻撃を受けた親の方が、その子供を辛くしていると考えられます。

不登校の子供が荒れるときとは登校刺激を受けたときです。不登校の子供はゲームなどに熱中していないときは、家の中の登校刺激、自分で作る登校刺激で、辛い状態になっていますが、それだけでは荒れないとき、そこに新たな辛い事があるとその辛い事に、辛くした人に対して無意識に、反射的に、荒れます。つまり最後に辛くしたものや人に対して荒れます。ですから、子どもが荒れた対象が、子供を最後に辛くした物や人です。
子供が最後に辛くなったものが登校刺激になって子供を辛くした場合と、最後に辛くした人に向かって荒れる場合と、その人に向かって荒れないで、その人を強く連想する物にむかってあれるばあいがあります。一見子供は荒れているだけのように見えますが、多くの場合その荒れる対象にそれなりの意味があります。

子どもが荒れる対象物の所有者に荒れられないときには、その所有者に向かって荒れない代わりにその所有者の物,その所有者を強く連想するものに向かって荒れるのです。