登校刺激を受けても辛くなくなる

>学校が辛いところでないと理解できたら子供は学校に行こうとする
これは表現が悪かったですね。申し訳ありません。
不登校の子供の心が元気になって、登校刺激があっても辛さを感じなくなったら子供は学校に行こうとする
と書くべきでした。

>とありますが、単純な話、学校に行かないで、不登校にさせて、
不登校にさせるとは、子供を学校に行かさないという意味ですね。子供を学校に行かせるより行かせない方が、不登校の子供を早く元気に出来ます。不登校の子供を学校に行かせないだけでなく、登校刺激も取り除くことで、子どもの心が元気になって行きます。ただし、多くの場合、年のオーダーの時間がかかります。

子どもの心が元気になってくると、つまり心のエネルギーが大きくなると、子ども発の意思が出てきます。これを認めると不登校の解決はより早くなります。不登校の解決とは、学校に反応をして子供を辛くするトラウマ=fecorが反応をしなくなると言う意味です。

>どうやって学校は辛いところではないと理解できるようになるんですか?
fecorが反応をしなくなると、心のエネルギーが大きくなって、子供は家の内外でいろいろな動きを始め、その動きも大きくなってきます。今まで登校刺激で辛くなっていたところに行ったり、今まで辛かった人にあったり出来るようになります。其れでも辛くならないと分かると、子供の本能から学校に行ってみることになります。それでも辛くならなかったら、そのまま学校に行き続けることになります。この経過を簡略化して申し上げたので、誤解を生じやすい表現になってしまっています。

子供の心は大人の心と違って、心が辛くなくなったら、心のエネルギーがどんどん貯まってきて、その子供なりの動きを初めて、その動きを大きくしていきます。その行き着く先の一つが学校だという意味です。
それに対して大人の心は心が辛くなくなっても、心のエネルギーがなかなか貯まってきません。その結果いつまでも同じ動きを続けてしまって、子供のような動きの発展を感じにくいのです。