子供にとって何が正しいか?

>私は幼稚園や学校が最初から最後までずっとイヤでイヤでたまりませんでした。
これは御母様の性格でしたね。それがお母様だったのですから、それで良かったのです。

不登校にはなりませんでしたが、心は不登校状態でした。分類でいうと不登校分類1なのでしょうか?
其れは辛かったですね。不登校にさせて貰えなかったという意味では無いかと思います。不登校になっていれば、不登校分類1になります。

>主人も不登校気味で学校が嫌いでした。学校は嫌だけど行かなければならないものだったという感覚です。だから、こどもが幼稚園に行けなくなった時も、不登園を受け入れられたのだと思っています
その対応でお子さんは助けられたと思います。

>爪かみや発熱、湿疹などの症状が出てしまっていた後だったので、こどもには本当に悪い事をしたし、反省してもしきれないのですが。
それでも良くお子さんを守ろうとしてくださいました。

ここで注意して頂きたいことは、子供時代に不登校をしたからと言って、叉は不登校にならなかったけれど学校で辛い思いを続けていたからと言って、その人が親になって自分の子供に不登校を最初かっら認められるかというと、多くの場合その様なことはありません。子供の時の心と大人になってからの心と、異なるからです。ただ、苦しむ自分の子供を見て、早く子どもの心の辛さに気づき、子供を不登校にさせてあげられやすくなる、と言う意味はあります。

>本当に、本気で学校が楽しい!なんて思っている人がいるのか、と思ってしまいます。勉強も一人でした方が効率的だし、友達は学校以外でだって遊べます。社会見学だって、本当に本人が興味を持ってから行った方が得る物は大きいと思います。
お母様の感じ方が分かりました。お母様はこれで良いと思います。この思いがあると、ご自分の子供の辛さに早く気づくことが出来ます。

>このような両親の元に生まれたこどもは、こどもは母親の事が大好きであるなら、母親の価値観通りの人生を歩もうと学校へ行かない選択をする事はあるのでしょうか?
あります。
子供の性格は持って生まれた性格と母親の元で育てられている間に母親を真似して身につけた性格があるからです。蛙の子は蛙と言うことわざがありますが、その傾向はある程度あります。

>今、親の信条や宗教上の理由で学校に行かせていないこどもがたくさんいるそうです。そういう子は親のために学校へ行きたいのを我慢しているのでしょうか。
子供が親の性格を受け継いでいたら自然態で学校に行かないでしょう。親の性格を受け継いでも、学校内に何か楽しさを見つける子供は、学校に行こうとします。
この違いは子供が成長の過程で、どの様な経験をするかで変わってきます。只その様にして育った子供(親の心情や宗教上の理由で子供の自由な子供社会に接触させなかったら)は、その特別な社会でしか通用しない大人になる可能性が高いです。親もそれを求めて子育てをしたのでしょうから。それが良いかどうかは、親が決めることでしょうが、その様に育てられている子供は指をくわえてほかの子どもを見ているのでは無いかと推測します。

>そういうこどもが多いので、学校や教育委員会がこどもの心を無視して猛烈に登校圧力をかけたり、脅したりしてくるという一面もあるのでは?と思います。
学校や教育委員会は、まず法律が優先します。自分たちの正義感と仕事を守ろうとします。その人達の正義感からの関わりのその結果としてご指摘のようなことはありそうですし、現実にその様な例を経験しています。それもかなり頻回に

>もちろん、教育の基盤は家庭にあり、こどもが行きたくないという意思表示をしている場合、それこそ度を越した行為は、越権行為ともいえるのでしょうが。
人権という意味ではその通りだと思います。ただ、学校や教育委員会は、極めてうがった意見ですが、泥棒の子供は泥棒になりやすいので、それを防ぐと言って介入することが良くあります。子供を守るためだから越権行為でないというのです。それも日本社会を守るという意味で間違いではないのでしょう。どちらも大人達の生き方に子供を従わせ様という物ではないかと思います。
それに対して、私は今の瞬間、子供が感じて居ることを尊重して、それを元に子供が自分の心を成長させて、自分から大人社会に入っていくのが、その子供の心に沿っている、その子どもの成長のその子供なりの正しさではないかと、判断しています。