不登校に成れて3

>自分を傷つけることで、自分の存在(生きていることを認識)を確かめなくてはいけなくなったり、
これは大人についての自傷行為だと思います。大人では辛くて、辛くて、生きている心地がしなくて、自傷行為をして、痛みを感じて、やはり自分は未だ生きていると認識するようです。

子供の自傷行為は、心が辛い事から生じる回避行動の内の問題行動だけのようです。その際の心の辛さは自己否定から来ているようです。

大人も子供も心の辛さが強いと、自傷行為の際の痛みを感じにくいようです。

>私の友人にも常に手首や首に傷を何本もつけている人がいますが、言葉がでません。
それだけ心が辛かった時があったという意味だと思います。

>やはり、子どものこころを、そこまで傷つけては、いけないですね。
子供の場合の原則として、子供には回避できない辛さを与えてはならないと言うことです。回避できないとは、その辛さから逃げられないという意味です。

>学校や社会を変えられないけれど
しかし子供の心への考え方を変えられます。少なくとも大人の心と子供の心は異なるから、大人の心からの知識や判断で子供に対応をすると、子供の心に沿わない場合が有り、子供の心が辛くなってしまうと言う事実は気づいて欲しいと思います。

不登校の子どもを、これ以上増やさないでほしい増やしたくないと思います。
fecorを持って居る不登校の子供はこれ以上増やさないで欲しいですね。
fecorがないが、学校内に辛い事があるために不登校になるのは、その数が増えてもそれほど大きな問題はないようです。こう言い切るのは少し無茶かも知れませんが、学校内に辛い事があり、それにより不登校になった場合には、子供が心の危険から自分を守るために必要なことです。

>命にかかわることだと、理解している大人が、学校の先生が、どれくらい、いるのでしょうか。
学校のあり方を拒否する子供が出てくると、それは子供が問題だという大人の立場からで子供に対応をした場合には、子供の命に変わる場合がありますし、子供の将来に悪影響を与えてしまいます。学校がどの子供にとっても好ましいとだけ考える結果だと思います。
多くの子供には今の学校制度が好ましいけれど、ある割合で好ましくない子どもがいるという現実です。

>学校制度もいい加減、どうにか、変わらないかなと思ってしまいます。
今の日本中一律の学校という意味ではその通りです。その意味で子供が選択できる学校という考え方が出てきています。子供の立場から言うならその方が良いですが、大人の立場から言うなら、いろいろな難しさがあるようです。

>いま、子どもは小学生ですが、大人になった頃、世の中を変えていけるぐらい、エネルギーを貯めてほしいと、思います。
その子供が大人になって、社会を形成しながら変えていくので、私は良いと思うのです。