心が辛い母親を守る

ある母親からの意見です。

母親を守る仕組みについて簡単には思い付かないですが、夫婦がお互いの違いを認めて、得意なことを、それぞれが担えばよいと思っています。男性が子育てに参加することも、日本中で一斉にそんな雰囲気にする必要もないと思っています。
男女平等とは言っても、生まれた時から、男女で、根本的に違うと、感じました。それでも能力や体力について、女性でも物凄いものを「持ってる」方はいます。
男性でもなく、女性でもなく、一人の人間として、それぞれが、それぞれに、得意なことを生かせる、認め合える、それが、自然にできるようになればいいなあと、思います。
例えば、私がもし、企業にいて、男性と対等に、競争して、ということは、全く考えられません。夫に、料理や掃除をやってほしいとは、思いません。
男性も女性も、苦手なことを一律に求められるのも苦しいですよね。

<主催者の意見>
>お互いの違いを認めて、得意なことを、それぞれが担えばよいと思っています。
これは役割分担があると言う意味ですね。所が世の中は男女平等と、男女とも同じ事をして同じ評価を受けるべきと言っているようです。私は果たしてそれが女性のためにならないと思うのです。もちろんそれが出来る女性には男性と同じ評価をすべきでしょう。それと女性に男性と同じ事を求めることとは別だと思います。役割分担を認めて実行することで、社会が、家庭がそれなりに意味を持ってくると思うのです。
ここで注意をしなくてはならない事は男性と女性と役割分担のはっきりとした境界線が引けないことです。最近は女性が男性の領域に入ってきていますし、男性が女性の領域に入ってきています。それもそれで良いと思いますが、子育てという意味では、育てられている子供がどの様に感じるかと言う事を配慮する必要があります。

>男性が子育てに参加することも、皆で一斉にそんな雰囲気にする必要もないと思っています。
男性の内でも子育てに能力がある男性なら、子育てに参加する意味がありますが、子育てに興味がない男性を子育てに巻き込むと、かえって女性の子育ての障害になります。このように書きますと、女性に子育てを押しつけるように感じる方がいらっしゃると思いますが、子育てとは粘土からある造形を付くのとは違って、子どもが育って行くのを助ける物です。子供に衣食住を与えるのは男性でも女性でも出来ますが、子供の心を育てるのには女性が持って生まれて持っている能力がとても役立ちます。特に子供が何かの理由で心が辛い状態になったとき、母親が持つ特有の能力が必要になります。そして子供はその母親特有の能力を引っ張り出すようにして育って行きます。この点で子育てには母親の存在が必須なのです。

>男女平等とは言っても、生まれた時から、男女で、根本的に違うと、感じました。
そうです。肉体的な違いが能力的な違いを生じます。そして母親が持つ特有の能力も大きな違いです。

>でも中には、能力や体力、女性でも、物凄いものを「持ってる」方はいます。
それでも肉体的な違いは、男女平等になれません。それでも男性と対等に生きたい女性は男女平等を求めて良いと思います。叉、社会の可能な限りの男女平等を与えるべきでしょう。アメリカでは女性が兵士になっています。戦闘機のパイロットになっています。それが良いかどうかはその女性が決めることですが、それを許す社会は良いですね。でも子育てする家庭は別だと思います。極めて動物的で無いかと思うのです。

>男性でもなく、女性でもなく、一人の人間として、それぞれが、それぞれに、得意なことを生かせる、認め合える、それが、自然にできるようになればいいなあと、思います。
常識から考えるとその通りでしょう。しかしそれは男性が女性化する要因になっているかのうせいがあります。それが悪いというのではなくて、文化社会を作るのに必要なことですが、その程度を過ぎると同性愛に通じるのではないかと思います。この方面を研究していないので、間違っているかも知れません。ひょっとしたら母親が男の子に家事よりも、進学を中心に子育てする理由がそこにあるのかも知れません。つまり男らしくを男の子には求めて居るのかも知れません。それが嫌な男の子が女の子的を求めるのかも知れません。
あくまでも私が勝手に感じる事ですが、私の時代は男性が女性を支配して社会が成り立っていました。現在は社会は男性が主として支配していますが、家庭は女性が支配している傾向が強くなってきています。その結果女性に受け入れられる男性が求められるようになっています。それが男性の女性かかもしれません。

>例えば、私がもし、企業にいて、男性と対等に、競争して、ということは、全く考えられません。一抜けです。夫に、料理や掃除をやってほしいとは、思いません。苦手なことを、一律に求められるのも苦しいですよね。逆もそうだと思います。
多くの日本の女性が、まだ余裕がある女性が持つ感じ方かも知れません。
夫婦といえども男性が生きる世界があります。女性が生きる世界があります。これを完全に一致させようとすると無理があります。男性の生きる世界と女性が生きる世界と共通部分に家庭があると考えられますから、この共通部分の作り方は夫婦の問題で有り、一律に決める物ではないはずです。でも母親が子育てで苦しんでいるなら、この共通部分を母親側に広げるという対応方もありますし、その共通部分をより確実に機能をする、意味あるようにする対応方もあります。