恐怖刺激、トラウマ、fecor

私たちは感情をいろいろな言葉で表現しますし、その程度もいろいろな言葉で表現します。その感情もその内容を問題にしないなら、喜びと辛さに大きく二つに分けることが出来ます。喜びは不登校の原因と関係しないので、辛さについてもう少し踏み込んで考えて見ます。

人が辛く感じるときとは、その人を辛くする刺激が直接、間接(記憶叉は知識)に加わっているからです。その辛くするものとは、生物としての辛さとして
痛み、否定(空腹や口渇も含みます)、強すぎる五感があります。それ以外に乳幼児期から小児期にかけて親、特に母親から受け入れた辛さ(その人が属する文化の影響がとても大きい)があります。例えば蛇が怖いとか虫が怖いとかです。これらの辛いものは、その文化圏にいる人では理解可能です。

これらの辛い刺激を、心を議論するときには恐怖刺激と表現しておきます。恐怖と表現しても、その辛さがとても大きいと言う意味とは限りません。

そしてこれらの辛い刺激から、恐怖刺激から、気づかない内に、条件反射で学習した辛いものがあります。この条件反射で学習した辛いものが心の辛さの問題でとても大切です。条件反射という概念がなくても、辛い経験をしたことにより、その辛い経験をさせた人や物を、辛いもの=恐怖刺激として反応をするようになります。その恐怖刺激は、その人の経験に寄りますから、その経過がわかる人には理解が可能ですが、その経過を知らない人には理解が出来ません。そしてその経過がわかる人には、辛い思いをしている人が 「辛くなっている原因が特定でき」 ます。

不登校問題で言うなら、例えば生徒指導の先生や、虐めをする子供です。生徒指導の先生からひどく叱責を受けた子供に生徒指導の先生は恐怖刺激になりますが、その子供以外の子供や親たちには教育熱心な先生と理解されている場合が多いです。虐める子供もその外見は性格の良い頭が良い子供の場合が多いですから、良い子供の代表のように扱われている場合が多いですが、虐められている子供に虐める子供は恐怖を生じるのです。

この恐怖の条件反射で学習した恐怖刺激を繰り返し受けていると、前記の例でいうなら生徒指導の先生から繰り返し叱責を受けていると、繰り返し虐める子供から虐めを受けていると、その辛い刺激を受けている場所にある物にも恐怖を感じるようになります。不登校で言うなら学校です。動物でも、その動物が死にそうな思いをしたところにはその動物は行きたがらなくなります。犬でも予防注射を受けて痛い思いをした動物病院に入っていこうとしなくなります。

この動物の場合には経験的に理解出来ますが、 「学校が子供にとって怖いところになっていると言う事実を多くの人は理解出来ません。」 その辛くなった学校に子供が毎日行かされると、その辛さがどんどん強くなって、最終的に学校に行かれなくなります。内容は違いますが、その姿は、動物病院に入って行かれない犬のようになります。

そこで恐怖刺激を分類して考える必要があります。

1)誰でも理解出来る恐怖刺激
2)その人特有の恐怖刺激=トラウマの反応を生じる
3)誰も理解出来ない恐怖刺激=fecorの反応を生じる

この三つの恐怖刺激がある事を理解して、その人が置かれている状況から区別して対応を考える必要があります。
現実には、トラウマを考えられる人も増えてきていますが、誰も理解出来ない恐怖刺激=fecorを無視して社会活動が行われています。トラウマやfecorが理解されないときには、トラウマやfecorを理解しない人に社会的な責任があるのに、それらの反応で苦しんでいる人が異常だと、病気だと、責任を辛さで苦しんでいる人に責任を押しつけているという現実があります。