母親の誕生日

不登校引きこもりの娘です。暴言や荒れで母親は対応に手こずっていました。カウンセラーからアドバイスを受けて、食事だけ作って後は娘への対応を全て止めました。ある夜、私も仕事などで大変に疲れていて、娘用の食事を作らないで眠ってしまいました。

翌朝台所に行ってみると、インスタントラーメンを作って食べた食器類が放置されていました。驚いたのは食卓にケーキ一つと誕生日おめでとうというメモ書きがありました。そういえば昨日は私の誕生日だったのです。娘は私の誕生日を覚えていたのです。このようなことは今までなかったのですが、何で不登校で荒れているのに私に誕生祝いをしてくれたのでしょうかと、不思議に思えました。でも娘が母親に向かって荒れていても、母親のことを大好きなのだとわかって、母親は涙が湧いてきました。

もう一つ母親に不思議に思えたことは、最近の娘は家の中に引きこもって、家の外に出たことはなかったのです。きっとその娘が近所のコンビニまで出かけていってケーキを買ってきたのでしょう。娘を家からだそうとすると娘は家の中に閉じこもり、娘を家の中に放置しておくと、娘が必要と感じたときには自分から家の外に行くことに、母親は気づいたのです。

母親は今までの対応のまずさに気づきました。娘の部屋に行き寝たばかりの娘を抱きしめて、「ごめんね、ごめんね。ありがとうね。」と言いました。娘は嫌がるそぶりをしましたが、しばらく抱かれていました。

この話は、娘が母親に優しくて、母親への誕生祝いをしたと理解されます。確かにその通りですが、問題点もあったのです。その問題点とは、誕生日を思い出していることです。心が元気な子どもが誕生日などの時節を思い出すのはそれなりに意味がありますが、心が辛い子どもでは、誕生日などの時節に関係したことを思い出すことで、辛さを感じるようになります。

今回の場合母親の誕生日を思い出したものでした。自分の誕生日を思い出すときっとこの女の子は荒れたと思います。不登校などの心が辛い子どもには、誕生日などの時節を思い出さないような生活をした方が早く心を元気にします。其れは誕生日などの時節を思い出させてはいけないという意味ではなくて、誕生日などの時節を思い出さないほどの楽しいことに、不登校などの心が辛い子どもは没頭した方が、子どもの心を元気にするという意味です。