母親に訴える

そのうち、こどものやること、言うこと、悪口、暴言、全部、ためしに、いいね、いいね、最高だね、お母さんも真似しようと、言っていたら、(本当に行動したこともあります。)だんだん、色んな決まり、常識が馬鹿らしく思えてきました。

何かを成し遂げた人の話を聞いたりすることも、私にはとても意味がありました。そういった人は案外、人と違った生き方をしています。大学なんて、ろくに卒業していなかったり。社会に出るときに、小学校、中学校に行っていたかどうかは、言わなければ、誰も知ったことじゃないと思います。そういった人は、他人の声に従ってきた自分にどこかで、気付いて、自分のこころの声?直感に、素直に従うことに目覚めています。そして、後から振り返った時、社会的に最悪であった自分に、感謝しています。私は、そういった話に、とても勇気を貰いました。

私は、大人になってしまい、こどものこころを既に失っていますが、他人の人生ではなくて、自分自身の人生を生きたいのは、皆同じではないかなと、思っています。お母さんのこころが軽くなると良いなと、思います。


>そのうち、こどものやること、言うこと、悪口、暴言、全部、ためしに、いいね、いいね、最高だね、お母さんも真似しようと、言っていたら、(本当に行動したこともあります。)だんだん、色んな決まり、常識が馬鹿らしく思えてきました。
この部分にRESしたくて、このMSGに注目しました。
子どもは母親にとても優しいです。その母親に優しい子どもが母親にとって辛いことをするとは、この子どもの母親への行動は子どもの本心ではないという意味になります。子どもの心が辛いよと母親に訴えていると考えられます。そこで母親が子どものすることを責めないで、母親が其れをしていいよと認めると、子どもは意識はしませんが、自分の訴えが母親に認められたと感じるようになり、その様な形での訴えを訴える必要がなくなります。

それだけでなく、母親が常識を捨てるなら、子どもは常識で苦しんでいるのですから、子どもは辛くなくなり、母親への訴える行動がなくなります。学校に行かないけれど、日々の生活は非常識だけど、心が辛くない子どもとして普通の子どもとして成長が可能になります。

心が辛くない子どもとして成長を始めると、子どもの本能が機能をし出します。仲間を求める、新しいことを知ろうとする、子どもの周囲の環境に順応をしようとするようになります。その結果は子どもにより異なりますが、共通することは、心が元気な大人に向かって成長をしてくれます。

>何かを成し遂げた人の話を聞いたりすることも、私にはとても意味がありました。そういった人は案外、人と違った生き方をしています。大学なんて、ろくに卒業していなかったり。社会に出るときに、小学校、中学校に行っていたかどうかは、言わなければ、誰も知ったことじゃないと思います。そういった人は、他人の声に従ってきた自分にどこかで、気付いて、自分のこころの声?直感に、素直に従うことに目覚めています。そして、後から振り返った時、社会的に最悪であった自分に、感謝しています。私は、そういった話に、とても勇気を貰いました。
つまりその子どもなりに、心が元気な大人に育ってくれたという意味でしょう。

>私は、大人になってしまい、こどものこころを既に失っていますが、他人の人生ではなくて、自分自身の人生を生きたいのは、皆同じではないかなと、思っています。
心のエネルギーを用いて、その人なりの生き方をするという意味ではないかと思います。

>お母さんのこころが軽くなると良いなと、思います。
そうですね。常識にこだわられないと良いのでしょうが。