来なくても良いのにね

<相談>
(経過を説明しませんが)不登校だった娘が昨年夏(中学2年生)から再登校を始めました。一昨日は3年生の娘の始業式の日だったのですが、帰宅後に、今までずっと不登校だった男子が来ていたと言ってきました。娘から今まで不登校の子の話は出ませんでしたし、その子と関わりはないと思います
娘は「来なくて良いのにね。」と言ったので、私は相槌だけで話は終りました。娘が帰宅して1番最初に話した内容だったので、私は何かなと思いました。
これはただ、今まで来ていなかった子が来ていた。というだけを言いたかったのか?自分も不登校で、苦しんでいたはずなのになぜ不登校の話題をするのか、未だ娘は学校で辛いから、その男の子の話を出してきたのか、気になりました。
話しぶりから不登校はダメだ。などの否定的な感じはありませんでしたが、娘が不登校だった男の子に着目するのが不思議でした。
娘に辛さなどではないと思いますが、不登校だった娘が学校へ挑戦をはじめている最中に、不登校の子に注目するのは何故なのかな?と思いました。来なくて良いのにね、も何故その言葉が出たのか疑問です

<回答>
不登校だったお嬢さんの心が元気になり、自分から学校への挑戦を初めて半年が次ぎました。現在のお嬢さんの姿は、他の同級生と変わりありません。成績もけっこよかったようです。姿も生き生きとしていて、しっかりと自分の意思を出して、先生達とも、同級生達とも関わり続けています。
そのようなお嬢さんが、不登校だった男の子が登校したことに注目したのは、男の子に学校に来るだけの心のエネルギーを感じなかったのでしょう。新学年が始まったから学校に押し出された男の子と感じたのだと思います。お嬢さんも不登校を経験して、学校に向かう心のエネルギーがない時期を過ごしてきていました。その時期を未だ覚えているので、この登校した男の子の心のエネルギーのなさに気づいたのだと思います。
常識から言うなら、この男の子に学校に来られて良かったねと言うのでしょうが、お嬢さんは自分の経験から、この男の子が学校に来るには未だ早いとかんじたのでしょう。心のエネルギーが足らないという形では理解できないのは当然ですが、未だ学校に来られる心の状態ではないと感じたのだと思います。そのお嬢さんの判断を「来なくても良いのにね。」という言葉で表現したと推測されます。
お嬢さんは心のエネルギーという概念を知りません。しかし心のエネルギーを感じ取れる女の子になっています。それだけ心が成長した女の子になっているという証拠でしょう。