皆様に是非読んでいただきたいMSG2

>食事も子どもが「〇〇作って」というまで私は何もしません。でも、言われたら〇〇が作ったことのないものであっても、同じものが何日続いても、「おっけ~」と返事して必ず作り、出来上がったら「できたよ~」と部屋に届けます。いつの頃からか「ありがとう」と言ってくれるようになりました。最初の頃はリクエストがあったら、材料がなければ買いに走るところからして即行動でしたが、今は子どもの方が私の様子から状況を判断して「今じゃなくてもいいよ」などと言ってくれるし、私が寝ている間や不在の間に自分で何か作ったりもします。
これはよいですね。御母様からの登校刺激が無くなったという意味です。

>もう1つわかったことは、自分の部屋にいる時間がほとんどでも、子どもは親を見ているということです。私が日々の生活の中でやっていることを、何かの拍子に取り入れたりしているのです。それに気づいたとき、「赤ちゃんのときからずっと一緒だった私を見て育ったんだから、この子はきっと大丈夫」と、そんな風な気持ちが湧いてきました。
それほど母親の子どもへの影響は大きいです。どうかおこさんの心に沿った対応をいま一度検討してみてください。

>"非常識さ"が増すにつれて、見える風景も物事の受け止め方や解釈の仕方も変わりました。常識的な人たちから見たら私は非常識かもしれないけど、ほどよく非常識になった私からは、身の回りや世の中の常識が「それ、変じゃない?」に見えることが多々あります。
その感じ方はお子さんの心の沿っています。

>常識=正しいことではないし、多数派が正しい側にいるわけでもないし、**先生の考え方を取り入れて生活している家庭は少数かもしれないけど、少数派だから間違っているわけでもないんですよね。常識的であるほど、見えているものしか見えなくて、見えているものしか信じられなくなるのかも…常識から非常識まで、経験によって幅広い考え方や受け止め方ができるようになったのなら、「うん、それも悪くないね」という気がします。
そうですね。良く気づかれました。

脳という意味での子どもの心から考えるなら、心が元気な子どもは常識的な御母様で良いです。子どもの方で御母様に合わせてくれます。ところが不登校などの心が辛い子どもでは、常識的な御母様に子ども自身を合わせることができません。合わせられないのですから、御母様からの常識的な対応が心が辛い子どもを責めることになります。その結果ますます心が辛い子どもは心が辛くなってしまいます。

最近、ふと気が付きました。「大器晩成」という言葉を聞かなくなったなぁと。大器晩成よりも促成栽培
不登校で心の辛い子どもは大器晩成型と考えてください。多くの場合、其れは御母様の希望に近い形になります。不登校などの心が辛い子どもも、心が元気になれば御母様の常識的な対応に耐えられるようになるからです。

「うちの子は我が道をマイペースで行ってます。きっと大器晩成型なんです。だからこれでいいんです。」と、まだその機会はありませんが、誰かから何か言われたらそう答えてみようと思えるくらい肩の力が抜けてきた母親です。
本とのお子さん達の心に沿う得るようになりましたね。