子どもの心に沿う

>母親がソファーの前を通るとき、息子が足を出してきて妨害します。勿論足を出したとはっきり分かるぐらいに時間の余裕を持って足を出しますから、其れで何か起こるわけではありません。それでも母親がその足に躓いたふりをすると息子は大声を上げて笑います。
>其れ以外にも息子が突然母親の傍にやってきて背中をたたきます。痛いほどではないのですが、はっきりとたたいたと分かるようなたたき方です。

幼稚園児やもっと幼い子どもでは、母親とふれあいたいときに、このような行動をすることがあります。勿論意識で気ではありません。ある意味で母親との追いかけっこを楽しんでいるような、楽しみ方なのです。母親とのスキンシップや信頼関係も、無意識にはぐくんでいます。

現在の忙しい母親は、このような場合には、子どもに注意をします。怪我をするからとか、人に迷惑をかけるとか、です。それでは子どもはかえって辛くなります。母親を遠い人のように感じるようになります。

子どもがこの行動を他人にすると迷惑になることを母親は考えているのでしょう。母親としては、躾けと言うことを考えているのでしょうが、子どもの方は母親だからしているのです。母親だけしか、しないのです。

不登校の子どもがこのような行動をするとき、母親との信頼関係ができてきたときにする場合があります。それと心のエネルギーが貯まってきて、ゲームやネットに心のエネルギーを注ぐだけでは物足らなくなって、次の何かをしたくなったとき、しかし次に何をしたら良いか分からないとき、「退屈だ」と子どもが言い出したとき、言わなくてもそのような心の状態の時、このように母親に、いわゆるちょっかいを出します。だから「退屈だ」という言葉を母親に言うのと同じ意味合いです。決して問題行動ではありません。

つまり、母親は子どもの問題行動として反応をしたのなら、子どもの心に沿わない対応になります。子どもが次の何かを見つけるまでのつなぎとして母親を利用していると考えると、子どもの方で次の何か子どもなりの楽しみを見つけて、それに向かって動き出し、このような行動はなくなります。

不登校の子どもと母親との関係は、漫才をしているような姿の関係が、思いの外子どもを早く元気にします。その意味でも常識的な母親の対応は、不登校の子どもの心を元気にしません。