子供の心と大人の心との違い

<質問>
子どもの心と大人の心の違いについて、先生のお返事から自分なりに落としどころを見つけられそうです。それと先生の子どもの心理から、「子どもらしさである反射的な行動」という言葉とその説明を見つけました。そこには、「思春期以前の子供の人権を守るとは、子供たちの尊厳を守るとは、成長の保証、依存の保証、反射的な行動の保証を大人が与えること」と書かれています。このことは心が辛い不登校の子どもは年齢に関係なく当てはまると考えていいでしょうか。大人から見て理解できない、または不思議な行動も、子どもらしさである反射的な行動である。それを認めることが子どものありのままを認めることになるのですね。
それまで情動の接近系で動いていた物が、繰り返されることで習慣化したり、知識として記憶されて、情動の要素がなくなっても同じ言葉や行動ができるようになる子どもらしさである反射的な行動が保証されるとこの経験の蓄積ができ大人の心に向かっていけるのですね。

>子どもの心と大人の心の違いについて、先生のお返事から自分なりに落としどころを見つけられそうです。
有り難うございます。いわゆる心の専門家ですら知らない事実ですから。一人の親が子育ての経験から気づいてくださるとはすごいことで、私にも自信になります。

>先生の子どもの心理から、「子どもらしさである反射的な行動」という言葉とその説明を見つけました。
そうですね。子供は習慣の心からの、敢えて言うなら皮質反射と、同時に生じた情動からの情動行動だけです。大人のような意識行動がないと考えて間違えないです。大人のような意識行動のような行動をしているときは、そのときにいる大人のためによい子を演じていると考えられます。それを多くの大人は拍手喝采するという、子供の心を無視した対応を続けています。

>「思春期以前の子供の人権を守るとは、子供たちの尊厳を守るとは、成長の保証、依存の保証、反射的な行動の保証を大人が与えること」と書かれています。
そうですね。子供は大人のような意識からの行動ができなくて、習慣行動と情動行動しかできませんから、それを保証してあげて、その子どもなりの成長を認めてあげることが、子供の心という意味でとても大切です。

>このことは心が辛い不登校の子どもは年齢に関係なく当てはまると考えていいでしょうか。
不登校の子どもであろうと、不登校の子どもでなかろうと、どちらの子供でも基本的にはその通りですが、心が元気な子供はよい子を演じても心に未だ余裕があるので、子育ての際にここまで考えなくても良いという意味です。

>大人から見て理解できない、または不思議な行動も、子どもらしさである反射的な行動である。それを認めることが子どものありのままを認めることになるのですね。
そうです。ただし他人が認めても母親が認めないと意味がありません。母親が子供の行動を認め、共感し、スキンシップをすることで、子供の行動が問題行動だったら、子供の方からその問題行動を止めていきます。

>それまで情動の接近系で動いていた物が、繰り返されることで習慣化したり、知識として記憶されて、情動の要素がなくなっても同じ言葉や行動ができるようになる子どもらしさである反射的な行動が保証されるとこの経験の蓄積ができ大人の心に向かっていけるのですね。
その通りですが、この場合の知識とは習慣の心の知識と言うことになります。習慣的にできる、しつけを受けたのと同等の行動ができるという意味で、大人の行動に近づいていきます。