渋谷女の子通り魔事件

通り魔事件について、少女が不登校ぎみだったと書かれてありました。また、保健室登校などをしていたようです。お母さんと、弟に対して、殺したかったようなことも書かれてありました。それから、夏期講習に行っている、行かされている?塾に行かされている?こともわかります。
ということは、学校も辛くて、家でも、辛くて、塾にいって、勉強をできる状態ではなかったと思います。こころがもう限界だったのだと思います。そのサインはお母さんに、どうやって出していたのでしょう。
お母さんに対しては、学校が嫌だと言えていたのか、だから、別室登校をしていたのか、また、弟さんは、学校に行っていて、お母さんは、学校に行っている弟さんを、もしかしたら、少女のいるところで比べたか褒めたか、少女のこころを傷つけるような、言動をしたのかもしれません。母親は、少女が、苦しんでいることに、気がつかなかったのでしょうか。まさか、他人をナイフで傷つけるような事件をおこすとは、思いもよらなかったんだと思います。
これは、こどもをもつ母親にとって、決して他人事ではないと思います。学校に、行きづらくなっていると気がついた時に、押し出さないで、早く早く、休ませてあげてれば、と、いまの私は、そう思います。

<解説>
>通り魔事件について、少女が不登校ぎみだったと書かれてありました。また、保健室登校などをしていたようです。
私もテレビや新聞を見る機会がほとんどないので、今どうなっているのかよく分かりませんが、私の見たニュースの範囲では、不登校とこの事件の関係を述べた物はありません。

>お母さんと、弟に対して、殺したかったようなことも書かれてありました。
登校刺激を与える母親が辛かったのだと思います。弟にも登校刺激を感じますが、母親の登校刺激が一番辛かったはずです。その辛さから母親と弟を殺したいと言ったのだと思います。本当に殺したいのではなくて、辛いから田付手という意味だったのです。

>それから、夏期講習に行っている、行かされている?塾に行かされている?こともわかります。
学校に行かせる、塾に行かせる母親に対して、女の子は怒りを感じていたのでしょう。その怒りを多くの場合に母親にぶつけなくて、家の中の物、家の外の学校を連想する物にぶつけることが多いのですが、この女の子は伊江の外の人にぶつけてしまいました。なぜ人なのか、この女の子なりに理由があるのでしょう。人にぶつける場合には、自分にぶつけることが多くて、原因が分からない若い人の自殺になっています。

>ということは、学校も辛くて、家でも、辛くて、塾にいって、勉強をできる状態ではなかったと思います。
私もそうだとおもいます。でも一般の人は学校が辛いことを理解できないので、その人なりの理由をつけて、この女の子のしたことを判断しています。

>こころがもう限界だったのだと思います。そのサインはお母さんに、どうやって出していたのでしょう。
そこは未だニュースから伝わってきていません。でも出していたはずです。そのサインを母親が無視し続けていたはずです。だから母親に女の子は怒りを感じていたのです。

>お母さんに対しては、学校が嫌だと言えていたのか、だから、別室登校をしていたのか、また、弟さんは、学校に行っていて、お母さんは、学校に行っている弟さんを、もしかしたら、少女のいるところで比べたか褒めたか、少女のこころを傷つけるような、言動をしたのかもしれません。
学校が辛い、学校に行きたくないと、母親に言っていたはずです。でも母親は学校に行かないことを認めなかったのでしょう。学校に行かされて、教室には入れないから別室登校になったのだと思います。別室登校でも女の子の心はとても辛かったはずです。

>母親は、少女が、苦しんでいることに、気がつかなかったのでしょうか。
苦しんでいたことには気づいていたはずです。しかし女の子が苦しむ原因が学校だとは気づかなかったのでしょう。その辛い学校に母親は女の子を押し出し続けていたのだと思います。きっと塾に行っても、何もしていなかったはずです。

>まさか、他人をナイフで傷つけるような事件をおこすとは、思いもよらなかったんだと思います。
この年齢の辛さを表現する場合です。多くは家の中の物に、特に母親関連の物を壊したり、荒れたりします。きっとその様な時もあったはずです。でも直接母親に辛さを暴力でぶつけるという場合は少ないです。
次に家の外の学校関連の物に怒りをぶつけます。この女の子の場合通り魔という形で、学校関連ではないけれど、怒りをぶつけたのでしょう。
子供によってはその怒りを自分自身にぶつける場合の方が多いです。それは自殺です。自殺を出来ない子供は、人は、他の人にその怒りをぶつけることがあります。それが通り魔という形だったのでしょう。

>行きづらくなっていると気がついた時に、押し出さないで、早く早く、休ませてあげてれば、と、いまの私は、そう思います。
その様に思ってあげる大人が皆無に近いのです。この女の子の母親も、きっと女の子が学校に行きづらかったことを知っていたと思います。その行きづらさが女の子に原因があるとして、母親は対応をして、学校に行かせることで解決できると思ったのでしょう。