寄り添ってケアして

ある不登校の子どもへの対応で悩んでいる母親の言葉です。
>寄り添ってケアして行こうと思います。
寄り添うという言葉、ケアと言う言葉を使われる限り、きっと不登校への対応の私の言葉を常識的に理解していらっしゃると思います。多くの不登校に対応をしている大人はこの言葉を使われますが、それは不登校の子供の心に沿っていません。辛い子どもの心の辛さを傍で観察し、辛くなっている原因を母親自身が見つけて、其れを取り除き、子供の心を元気にするための何かの対応をしようという意味だと思います。

不登校の子どもの立場から言うなら、その子どもの心に素直に生活したい、その子供なりに自分で元気になっていきたいという意味です。其れは常識と異なっているので、母親には分からなくても、母親だけは其れを信じていて欲しいと言う意味です。別の表現をしますと、子供は母親を全面的に信頼していますから、母親も子供を全面的に信頼して欲しいと言う意味です。但し、子供自身もこのことを意識していません。不登校などの心が辛い子供の情動からの反応の仕方です。

この時の母親の子供を信じて待つという対応法を常識的な言葉でせつめいすると、お子さんへの対応は
お子さんを見ない、
お子さんに言わない、
御母様の笑顔
この三つです。寄り添うという言葉は当てはまりません。この三つはお子さんを信頼して待つだけです。お子さんが求めない限り傍にいる必要がないのです。ですから寄り添うのではないです。寄り添うという対応、ケアという対応をすると、お子さんは御母様に監視されていると反応をします。これは不登校の子どもの反応を仕方です。理屈はありません。

この説明に母親から

自分でも寄り添う、ケアと書きながら何と無く違和感を感じていました。良い母と思われたい、自分の持つ罪悪感のような、そんなものを拭いたい気持ちからかもしれません。結局は自分が楽になりたい気持ちがあるのだと思います。
辛いのは息子ですね。死ぬような思いをしてきたんですから。息子を本当に思うなら、信頼するなら、見ない、言わない、母親の笑顔ですね。

と返事を頂きました。