なんで?についたコメント

ブログのコメントでの質問にお答えします。

<質問>
何で?と言う子供の問いに対して、わからないという回答でよいということでしたが、わかってる場合は答えてしまって構わないということなのでしょうか?
それともわからない、と返答した方が良いですか?

<回答>

何でという子供の言葉には、「何でその様なことを言うの」と言うような、子どもの心を辛い状態にしてしまったことについての訴えと、単純にあることについての理由を聞く場合とがあります。前者の場合は又別の機会の述べることにして、後者について私なりに説明をしてみます。

子供にどのように声がけするかについて、第一に考えなくてはならないことは、子どもの心が元気か子どもの心が辛いか見極める必要があります。

多くの子供は心が元気です。心が元気な子供には、母親の思いで、母親の知識や常識から母親の心に素直に答えることが可能です。可能と書いたのは、母親が答えを分かっていても、知らないように演技してしまうと、子供の方で本当にその答えが欲しかったら、子供なりに工夫をして知ろうとするからです。子供の知りたいという意欲を助長します。

心が辛い子供には、母親の知識から、常識から答えると、かえって子供を辛くする場合があります。母親の答えが登校刺激にならなければ答えても良いのですが、母親の答えが登校刺激になるか、常識的でかえって子供を苦しめるのか分からないときには、答えが分かっていても、答えないか又は母親がわからないと演技した方が良いです。心が辛い子供は、心が元気な子供ほど、何かを知りたいという意欲は弱いです。母親が答えなくても、その母親の対応により子供が辛い思いをすることはありませんし、それ以後その質問をしてくることは少ないです。

母親には子供の心が元気そうに見えてその実、心が元気でない場合があります。子供がよい子を演じ続けている場合です。その場合を母親に見抜くことは出来ないと推測されます。ですから、常識に反して、心が辛い子供への対応をした方が、子供の方でよい子を演じるのを止めてくれる可能性が高いです。心が辛いことを素直に表現するようになる可能性があります。但しこの場合、母親にとって辛い子供の姿ですから、現実に母親が自分から子供がよい子を演じていると気づけない理由です。

>何で?と言う子供の問いに対して、わからないという回答でよいということでしたが、わかってる場合は答えてしまって構わないということなのでしょうか?それともわからない、と返答した方が良いですか?
現実の母親は、心が元気な子供、心が辛い子供という概念を持っていません。母親の持つ知識、常識から対応をしています。そして多くの子供は心が元気な子供ですから、母親の持つ知識、常識で答えて良いですし、面倒だという理由で答えなくても間違いではありません。その方が母親が楽です。もし可能なら、母親の答えに子供がどのように反応をしたか、つまり常識的に考える子供の姿と異なるときには、子供の心に何か無いか自問してみる必要があるかも知れません。でも、常識的な母親、知的な母親には、子供が感じる心の辛さを子どもの心に沿って理解する難しさがあります。