共通テストについて

共通テストを読んで、不登校の子どもを育てている母親からの感想です。

荒れていた頃は、ものすごく辛かったと想像します。それを認めて、こどもの姿を何年も認め続けたお母さん。最終的に、大学、学校へ戻ることを決めた息子さん。そばで生きてきたお母さんはどのような思いだったのでしょうか?
学校ではなく、違った生き方を選んだ体験も、たまに、聞いてみたいと思います。
本当に聞きたいのは、誰とも違う、その子なりの生き方を、生きた経を聞きたいです。
その中の一つが大学というのは、わかります。多くの親が、望むのもわかります。

<主催者よりの回答>

>荒れていた頃は、ものすごく辛かったと想像します。
どの母親も子供が不登校になることを考えていません。多くの子供が学校を利用して成長をする姿になることを信じていたはずです。ところが子供が学校に行かれなくなったとき、それは母親であることの否定になってしまいます。ははおやとしてこうありたい、こうあって当然だという母親の知識を否定されてしまいます。否定は最高に辛い嫌悪刺激ですから、其れは地獄に居るような思いのはずです。

>それを認めて、こどもの姿を何年も認め続けたお母さん。
認めたと表現すると必ずしも正確ではありません。スタートは認めざるを得なかったのです。母と子とが地獄のような状態にあったので、仕方なく子供の姿を変えようとしなかったところ子供の姿が落ち着いて、その分地獄の苦しみが減ったと言う事実を母親は経験しています。その経験から、もうすこしそのままで待ってみたところ、ますます地獄の苦しみが減ったと言う事実の積み重ねから、子供の姿を変えようとするのを止めた母親なのです。

>最終的に、大学、学校へ戻ることを決めた息子さん。そばで生きてきたお母さんはどのような思いだったのでしょうか?
其れを大喜びする母親だと、子供は母親を信頼できなくなり、又地獄に戻ってしまう可能性が高くなります。内心で母親は喜んでも、それまでと同じに母親は子供のすることをそのままさせておいて(其れを認めると表現する人が多いですが)、子供からの要求が出たときにその要求の範囲だけ母親がその要求を実現しようとすると、母親と子供との関係がとても良くなります。母親には地獄から抜け出せたと感じられるようになります。

>学校ではなく、違った生き方を選んだ体験も、たまに、聞いてみたいと思います。本当に聞きたいのは、誰とも違う、その子なりの生き方を、生きた経を聞きたいです。
其れはよく分かるのですが、其れは当の母親から聞かれるのが一番参考になります。親の会で母親達はこの件のようなことを話していますから、親の会に参加されて直に母親達から話を聞かれるのが良いです。私の所ではホームページに日時か書いてあります。遠方ならZoomでの参加をお勧めします。
私が書く場合には、その内容が誰のことだか分からないように書く必要があります。其れは内容を都合が良いように修正しますから、どうしても当たらず障らずになってしまいます。

>その中の一つが大学というのは、わかります。多くの親が、望むのもわかります。
不登校の子供が大学進学を口にしたときには、母親は其れを否定してあげる必要があります。子どもが大学に向かって動き出す子供の多くの母親は、子供の大学進学に無頓着なことが多いです。