一言で言うと

トラウマとは、ただ単に恐怖反応です。何かに反応をして恐怖を生じる反応です。
一般にとても強い恐怖を生じる恐怖反応です。
その何かが
「他の人では恐怖を生じない物で、その人だけが恐怖を生じる恐怖反応です。」
その結果として
「今までは恐怖を生じなかった物で、その後恐怖を生じるようになった恐怖反応です」

この何かを見つけるのは難しくありません。その何かで必ず強い恐怖反応を生じるからです。けれどその何かで、他の人が恐怖反応を起こさないから、その何かが恐怖反応の原因だと考えないだけです。その人特有の恐怖反応です。それも多くは、何か大きな事件を契機に、その人特有の恐怖反応になっています。その結果として、その何かが恐怖の原因だとは考えない、考えないようにしている、周囲の人はその何かが恐怖の原因だと理解してくれないという、とてもわかりにくいことを生じています。

その何かがその人の恐怖の原因だと理解しなければ、その人は理由も無く恐怖状態になっている、つまり病気だと考えるようになってしまいます。その人自身も自分がおかしい、自分の存在意味を疑うようになって、自己否定になり、その自己否定から心の病の症状を出すようになってしまいます。

その恐怖反応を起こさせる何かが無ければ、恐怖は生じません。普通に生活できます。トラウマという言葉を使えば
「トラウマを反応させる物がなければ、トラウマが無いのと同じです」
ですから、トラウマがあるから何々が起こる、何々をするという考え方は間違えです。

割腹自殺?

兵庫県相生市教育委員会は23日、市立中学の男子生徒が3月に自殺したと発表した。生徒にいじめが繰り返されたことを学校は把握しており、市教委にも報告していた。生徒が教員との間にトラブルを抱えていたとの情報もあるという。市教委は弁護士や医師らによる第三者委員会を設置し、自殺の原因や、学校の対応が適切だったかなどを検証する考えだ。

 市教委や学校によると生徒は中学2年で、3月10日に救急搬送され、11日に亡くなった。生徒の保護者から学校に、自殺だったと連絡があったという。

 市教委によると、学校はこの生徒がいじめに遭っていたことを2度確認し、市教委への定期報告でも伝えていた。「男子生徒と加害者側の間で問題は解決した」という報告もあったといい、市教委は、亡くなった生徒が「いまぼくすっきりしている」と話していたとも説明した。

 市教委はこの報告を重大事態として捉えずに、経過を見守るよう学校に指示したという。この日の説明では、学校からの報告の時期やいじめの内容など詳細は明らかにしなかった。

 市教委はまた、生徒の死後、生徒が教員との間にトラブルを抱えていたとの情報も把握したという。学校は18日に保護者向けの説明会を開き、校長が経緯を説明。教員とのトラブルについても触れたという。市教委は、教員とのトラブルの詳細は調査中とした。

 市教委によると、学校は亡くなった生徒の直近の様子などを調べるため、生徒にアンケートや聞き取り調査を実施している。生徒の保護者は「二度とこのようなことが起きないよう、しっかり検証をしてほしい」と話しているという。(大下美倫、森直由)


この自殺の場合、親が自殺の原因を掴んでいるから、学校側も、この自殺を無視できないで、当人の問題と片付けられなくて、学校の問題点について動かざるを得なかったのだと思います。

割腹自殺と書いてありますが、昔の切腹とは全く違っていたはずです。

脳の傷?

トラウマとは日本語で心の傷です。それ故に、心の場である脳に傷があると考えている人が多いようです。てんかんの焦点発作の様な考え方です。しかしどんなに調べても、脳には傷はありません。分からないような小さな傷と言う人も居ます。その傷がどのような反応を起こすのか分からないですが、そのためにトラウマの症状を出すという考え方です。ですから、トラウマが何かに反応をして症状を出すという考え方はしません。

トラウマがあることだけで症状を出すから、そのトラウマが症状を出さないように、つまり脳内のトラウマの症状を出す部分を、てんかんと同じようにクスリで抑えてしまおうという考え方です。今の医学はその方向にあるようです。クスリでトラウマを起こさないようにしておいて、トラウマの症状を出す脳の傷が治るのをまとうというのです。

現実にトラウマを持っている人にクスリを投与し続けても、その人特有の何かに反応をしてトラウマの症状を出してしまいます。そうするとクスリが足らないと言うことになり、クスリの量が増える、クスリの種類が増えることになり、その結果投与されたクスリの副作用で苦しむことになります。

トラウマを持っていた人が死んだ後、その脳を調べたという話は聞いたことが無いので、脳に今の医学技術、検査法では分からないような小さな傷があったかどうか分かりません。しかし現実に、トラウマを持っていた子供が、トラウマを反応させない状態で成長をすると、トラウマが無くなってしまいます。大人でもトラウマが反応をする物から、その人を守るとトラウマは反応をしないで、普通の人と同じ生活が出来るのですが、現実の医学ではそれは成されていません。

再度知って頂きたいトラウマ

トラウマと表現すると大事のようですが、言葉を換えれば、ただ単に怖い、それもとても怖いという意味です。但しその怖い対象が、普通の人では怖がらないか、かえって喜ぶ物をその人が怖がるから、他の人にその怖さが理解されないのです。

トラウマと分類されていないけれど、峡所恐怖症というのがあります。多くの人では高いところから景色を見るのは格別問題がありません。かえって、人が行かないような高いところに上って、それを喜ぶ人も居るぐらいです。ところが高所恐怖症の人は、高いところに上るのを怖がります。それでも高層ビルなどに上って、高いところにいると意識しないと平気なのですが、窓から外を見たらたちまち足が竦んできます。高所恐怖症の症状が出ます。このような人が沢山いますから、高所恐怖症という名前はありますが、多くの人は病気とは考えません。この高所恐怖症を治そうとはしません。高所恐怖症の人は、高いところ避ける、高いと感じるところを避ければ良いだけです。それは社会的に許されています。この高所恐怖症の心の仕組みそのものがトラウマの心の仕組みなのです。

不登校の子どもは学校を見たり意識すると体中に恐怖の症状を出します。しかし学校は多くの子供にとって楽しいところですし、子ども達のために多くの大人が働いています。一般の人では子供が学校に対して恐怖を感じるのはおかしいことと判断されます。このように感じる子供が問題だとして、矯正しようとします。高所恐怖症では許されることが、不登校の子どもでは許されないのです。

大人でもPTSDという物があります。病気として投薬されて治療をされています。東日本大震災でPTSDになった人が居ました。あるゴーという音を聞くととても不安になり辛くなると言う人でした。普通の人では聞き逃すこのゴーという音があるとPTSDが反応をして辛い症状を出すと分かっているのですが、PTSDがあると言う理由で治療を受けていました。ゴーという音さえ無ければ普通に生活できるのですが、そのゴーという音を避けるような対応は成されないで、PTSDの治療をしたら、PTSDが治ったら、普通の人としての生活が出来るという解釈でした。

高所恐怖症の高いところ、不登校の学校、PTSDのゴーという音、皆辛い症状を出す原因です。その原因を避けさえすれば、普通の人なのです。その原因を避けない限り、これらの問題解決は無いのですが、原因を避けようとしないで、社会的には、問題解決ばかりを考え議論をされています。

教科書を燃やす

ある母親からの相談です。皆さんならどのように答えますか?

不登校の娘が庭で火遊びをしていました。見に行くと、教科書を焼いていたのです。母親が危ないからと見に行くと、「もう勉強はしないよ」と笑っていました。
近所迷惑だからと母親は火を消した後、燃え残った教科書をびりびりに破いて可燃ゴミの袋に入れました。これはどう言うことなのでしょうか?娘はもう学校とはお別れした、と言う意味なのでしょうか?

お答えします

コメントに頂いた質問にお答えしたいと思います。

多分、基本的な質問です。部屋にこもっているお子さんは、かまってほしい、寂しい、とかはなく、ただ辛いから部屋から出たくないのでしょうか。母親はそっとしておくだけでいいのでしょうか。

これは大人の感じ方からの質問ですね。未だ次のようなことを言っている人は非常に少ないと思いますが、「大人の心と子供の心と違う」のです。大人の知識や感じ方からの考え方での対応は、子供の心に沿っていないことが多いのです。

心が元気な子供では子供の方で大人の思いに合わせてくれます。つまり子供として無理ない程度に、所謂よい子を演じてくれます。又は、その大人を介して母親に伝わり、母親から褒められることを代償に、大人の思いに合わせることが出来ます。

ところが心が辛い子供、その例として不登校の子どもでは、大人の思いに合わせることが出来ません。子供の感じ方で素直に反応をしてしまいます。それが子供にとって嬉しいことでも(報償刺激)でも、子供にとって辛いことでも(嫌悪刺激)、反射的に反応をしてしまいます。その大人が母親だとしても、子供の心に沿わない対応だと、母親に対して荒れたり問題行動をします。其れをしないまでも、母親から逃げ出して自分の部屋に逃げ込んで母親を拒否をします。

母親はその存在自体で、子供にとって子供の本能からのとても大きな喜びです。子供の方から近づいて行きます。その子供が母親に近づかないと言うことは、子供が持つ本能以上の嫌悪刺激(多くは登校刺激)を母親が与えていることになります。母親が子供に嫌悪刺激を与えていなければ、子供は母親に関わって欲しい=関わって欲しい物です。何か孤立感を感じるときにはその寂しさを母親にその寂しさをいやして欲しい物です。ですが、子供が母親を拒否して自分の部屋に引きこもっているときには、その子供が持つ本心的な欲求以上の辛さを母親が与えているのです。ただ母親がそれに気づいていない場合が多いのです。母親が子供に登校刺激を与えること、つまり、部屋に閉じこもっていないようにしてあげるのは、大人の考え方では当たり前のことだからです。その当たり前が、部屋に引きこもっている子供を苦しめているのです。

>部屋にこもっているお子さんは、かまってほしい、寂しい、とかはなく
不登校で心が辛い子供では、母親から登校刺激を受けるから、このような感情を生じません。ただ単に辛さを与える母親から逃げたいだけです。

>ただ辛いから部屋から出たくないのでしょうか。
辛い自分の心を守るために、母親を拒否しています。もっと大切なことは、子供は母親に「拒否をしている理由を母親に理解して欲しい」のです。これを無意識にしています。

>母親はそっとしておくだけでいいのでしょうか。
母親が登校刺激を与えているから、子供が自分の部屋に引きこもっています。しかし多くの場合何故母親が登校刺激を与えているのか、母親が理解していない場合が多いし、それどころか登校刺激とは何かを知らない母親も多いです。その様な母親を子供が拒否をして自分の部屋に引きこもっているのですから、母親が登校刺激に気づくまでそっとしておくことは、子供を部屋から引き出そうとする対応よりは良いです。ただそれだけでは、解決には結びつきません。

是非知って欲しいトラウマ

子供が不登校になるのは、その不登校の程度に相当したトラウマが、不登校の子供の心にあることです。その事実を今日しも親も知りません。勿論トラウマという言葉を教師も親も知っていますが、その実態を知らないのです。その実体が分かれば、不登校の子どもへの対応法も、自然と分かるのですが。

トラウマは、他の人では何でもない物で、トラウマを持っている人だけがとても強い恐怖を感じる、その感じ方です。ここで間違っていけないことは、トラウマがあるから心が辛くなるのではありません。多くの人はトラウマがあるから心が辛くなると考えているようですが、トラウマがあっても反応をしなければ、トラウマが無いのと同じ生活が出来ます。つまりトラウマを反応させるような物があるから、トラウマが反応をして辛くなります。それ故に、トラウマを持っている人が、トラウマが反応をする物を避けて生活をすれば、トラウマが無いのと同じ生活が出来ます。

トラウマにも強いトラウマと弱いトラウマと、その反応の程度は色々ですが、トラウマの反応が弱い内に、トラウマが反応をしない時間が長いと、トラウマは消失してしまいます。その結果今までトラウマが反応をして辛さを感じていた物が、平気になってきます。

トラウマはトラウマが反応すればするほど、トラウマの反応が強くなり、トラウマが反応をしたその辛さはだんだん強くなっていき、最終的には死ぬ思いになっていきます。それ故に、トラウマが反応するような状況を絶対に避けなければならない理由です。トラウマには慣れは無くて、増悪があるだけです。