不登校の子供の母親から

子どもの不登校の原因は学校、先生とのこと。驚きました。確かに今の担任の先生は、まだ二十代前半でおとなしく少し頼りない感じで、放課に担任の先生に相談しようとしても女子に囲まれていてチヤホヤされている、なかなか話聞いてくれないとか行動にうつしてくれないとか、そんなことを言ってました。
4月からは、小学校五年生になります。クラスや担任が変わったら、学校行けそうだと、以前話していました。今は、母親も仕事なのでお留守番をして一日過ごすことが多いです。朝起きて、ゲームとYouTubeを見ることがメインのようです。
今後、私たち親はどのような対応をしたらよろしいでしょうか。言動、行動なんでもいいです。具体的に何かあれば教えて頂きたいです。

<解説>

>子どもの不登校の原因は学校、先生とのこと。驚きました。
不登校とは、不登校の子供の心に学校に反応をして子供を辛くするトラウマ=FCRがあるから、不登校の子供は学校を見たり、意識をするだけで、そのトラウマが反応をして、子どもの心を辛くします。子どもが学校だと、学校に関連する勉強を意識しただけで、子どもの心が辛くなります。先生は学校の構成要素ですから、先生と言うだけで、不登校の子供は心が辛くなります。

>確かに今の担任の先生は、まだ二十代前半でおとなしく少し頼りない感じで、放課に担任の先生に相談しようとしても女子に囲まれていてチヤホヤされている、なかなか話聞いてくれないとか行動にうつしてくれないとか、そんなことを言ってました。
この先生でも、担任自身がその行動で不登校の子供に辛いことをしなくても、不登校の子供の心は辛くなります。ただしこの先生がこの不登校の子供の心にトラウマを生じさせた先生ではなさそうです。この不登校の子供の心にトラウマを生じさせたのは、この先生ではなさそうです。この先生より前の担任や、先生で、トラウマを生じるようになったのではないかと推測されます。このMSGをそのまま信じるなら、今の担任で子供の心にトラウマを生じさせないのではないかと推測されるからです。

>4月からは、小学校五年生になります。クラスや担任が変わったら、学校行けそうだと、以前話していました。
子どもがまだ不登校を理解していない母親にリップサービスをしたのでしょう。五年生になっても子どもは学校に行かれません。

>今は、母親も仕事なのでお留守番をして一日過ごすことが多いです。朝起きて、ゲームとYouTubeを見ることがメインのようです。
子どものこの姿で良いと思います。

>今後、私たち親はどのような対応をしたらよろしいでしょうか。
母親は仕事を続けていて良い様です。
以前にも書いたことがありますが、母親の対応法として、
1)登校刺激を取り除く
2)子供として楽しいことに没頭させる。多くはゲームやネットです。
3)(母親だけは、どのような子どもの姿でも)ありのままの子どもを認める
4)傾聴(時間制限をつけない。相槌は入れる、オーム返しはして良い。決してアドバイスや説明をしないこと)
5)共感とスキンシップ(大好きだよ、お母さんの子どもで有り難う、今のあなたで良いよ、と言う言葉を忘れないように)
6)子どもの要求(学校と勉強を除く)を100%だけ、即座に、笑顔で叶える(非常識でも、危険でも、法律に反していても、母親だけは叶えようとする姿勢を見せる。その場合には必ず叶えることを意味していない。)
7)(子どもが荒れなくなっり、問題行動がなくなって、子どもが楽しみに没頭できるようになったら)母親は子どもを見ない、言わない、母親の笑顔、だけにする
8)其れ以後、子どもの動きを後追いするだけにする。決して先回りをしない

 

人間もほ乳類

人間はほ乳類の進化の頂点にいます。ですから人間も子ども時代は、ほ乳類として生きる必要があります。そして大人になると、人間特有の生き方、意識を用いた生き方をするようになっています。子ども時代にも意識はありますが、意識を利用した行動はできないか、とても下手で、無視をして良いようです。ですから、子どもの成長を考えるときには、ほ乳類の子どもの成長を参考にして考えるので、大筋は間違っていないと推測されます。又実際に良く当てはまります。

何故このようなことを敢えて私が言うかです。それは現在の医学が動物の体から学んだ結果だからです。動物の体から学んだ事実を実際の人間に当てはめてみて、その事実が間違っていないことの蓄積が医学です。子育ては医学とは異なります。それはほ乳類としての子育てになっています。ほ乳類としての子育てをしないと、子どもの心身が人間としての社会に順応できない子どもになってしまいます。子育てのこの部分は経験的な事実です。

>登校拒否研究室では、不登校の解決には、登校刺激をなくすこと、そして、母親との信頼関係が必要と言われていますが、私は、母親との信頼関係が必要なのは、登校刺激から守ったり癒やしたりするためだけなのかなぁ、他にも理由があるのかなぁと思っていました。
不登校の子供に限らず、子どもの成長の過程で心が辛くなる子供は必ず出てきます。その辛くなった子どもの心から辛さを無くして、心が元気な子どもから大人になって、大人社会に出て行くにはどうしても母親(母親がいない場合には代理母)と子供との間の信頼関係が必要です。それは動物実験でも証明できますから、科学的な事実と言って良いと思います。

>ブログのこの投稿を読んで、母親との信頼関係が必要なのは、登校刺激から守ったり癒すだけではないのでは?と再度思えました。
おっしゃるとおりです。母親(又は代理母)と子どもとの信頼関係(子どもの心から言うなら、いつ、どのような場合でも、母親から守られていると脳が反応をしている)は、多くの場合、ただ単に触れ合いだけで、意識しないで、できてきています。それは人間以外の動物でも同じです。そして子どもは成長をして、大人になって、母親から離れていきます。自立していきます。この過程は動物の子育てがそのまま(勿論動物によって具体的に異なりますが)当てはまります。

>登校刺激から守ったり癒やしたりすることはもちろですが、母子の信頼関係があれば、言葉にはしなくても「何があっても大丈夫よ」というようなことを言っているようなお母さんの笑顔さえあれば子供は自分で成長していくのだということなのかなと今更ながら自分なりに腑に落ちた気がします。
それが信頼関係です。子どもの立場から言うなら母親に依存をして、母親の立場から言うなら母性が機能をして、子どもにとって安全な成長が成り立っています。

>もっと言えば、私(母親)は、登校刺激をなくし続けて、笑顔さえあれば、原則としては何も心配しなくてもいいということになるんだなぁ、と、ふと思えて今まで以上に心が楽になりました。
それがほ乳類という動物の子育てです。勿論心の反応の仕方という意味での、子育てです。子どもを育て大人にして、大人社会に送り出すには母親だけで十分です。やや親に常識的な欲がなければ、子育てはそれだけで十分です。しかし人間には他の動物にない欲があります。他の動物にもあるのかも知れませんが、それを知る方法が今のところありません。そして母親が持つ欲が、特に人間では父親が持つ欲が、人間を他の動物と異なる特別な存在にしています。

但し、動物には学校がありません。動物が大人になるには、家族が、家族の集団である群れが、その代役をしています。人間では群れの代わりに学校を作りました。その学校がどうあるべきかについて、それは教育学者に任せますが、その学校で学校に反応をして子供を辛くするトラウマ=FCRを身につけてしまった子どもへの対応法を研究、実践に協力するのが、不登校学会です。

 

二人でゲームを

引きこもりの(三年)中学一年の子どもの部屋で母親が何も言わずに子どもが好きなパズルをやってみました。母親がちょっと席を離れて部屋に戻ると子どもがパズルをやっていました。その後は何も言わずに自然と二人でパズルを楽しみました。
母親が何も言わずにパズルを楽しんでいたら子ども」が自分から母親と楽しんでパズルをするような気がするのです

<解説>

>引きこもりの(三年)中学一年の子どもの部屋で母親が何も言わずに子どもが好きなパズルをやってみました。
多くの母親は家事で忙しくて、自分の楽しむ時間すらありません。忙しく働く母親の姿は、常識的には母親として好ましい姿、しっかりと母親業をして居る姿と理解します。ところが不登校などで心が辛い子供は、母親が忙しく働いている姿を見ると、知ると、安心してゲームなどの楽しいことに没頭できません。それだけでなく、忙しく動き回っている母親に自分が感じている辛さを訴えることができません。

勿論子どもに無関心な母親は、心が辛い子供には自分を守ってもらえる母親が居ないことになりますから、もっと心が辛くなり、母親に対して荒れたり、問題行動をしたりします。

この母親は母親の常識的な思いから子どもの不登校問題を一生懸命解決しようとしていましたから、その母親からの対応を子どもは受け入れることができません。母親はこのブログに書かれていることを常識的に理解して、子どもの問題を解決しようとしていましたから、子どもは母親を信頼することができないでいました。

ところがカウンセラーのアドバイスで、下手で良いから、子どものしていることをお母さまもしてみました。うまくできなかったら、子どもに習おうと思って始めたそうです。

>母親がちょっと席を離れて部屋に戻ると子どもがパズルをやっていました。
これが良いですね。子どもは母親との一体感を感じたのだと思います。その結果母親は自分と同じように生活している人、信頼感を感じたのだと思われます。母と子供との間の信頼関係を高めるには、子供がしたがることを母親は全て認めて、笑顔で待ってあげる方法をアドバイスしてきています。これは母親の母性が機能をすればかならずできることだからです。

この母親のように、子どもと同じことをすることを母親に求めるには難しさがあります。母親が求める楽しさと子供が求める楽しさが異なるからです。それでも母親が自分を抑えて、子どもの楽しさを一緒に求めることで、子どもは母親を急激に信頼し始めます。

>母親が何も言わずにパズルを楽しんでいたら子ども」が自分から母親と楽しんでパズルをするような気がするのですが、先生はこの事実をどのように推測されますか?
信頼関係が極めて濃くなったと表現して良いと思います。
不登校などの心が辛い子供の対応に困っている母親に、私はしばしばアドバイスをします。そのアドバイスとは、時には 「母親を止めて」、子どもと姉弟のように、姉妹のように、振る舞ってみてはどうでしょうかという物です。特に娘の場合には、おそろいの服を着て腕を組んで買い物に行かれたらどうでしょうかと、アドバイスをしています。男の子の場合でも母親なりに工夫をして、一緒に遊びに行く、カラオケに行くなど、子どもの楽しさに合わせてあげる母親になって頂けると、子供の心が元気になっていきます。

 

不登校の宿

息子は9歳の時から不登校引きこもりです。今の息子はオンライン上の数名の友達とゲームをしていて、ネット上でつながっている友達しかいません。その友達には学校へ行っていないことも話していて、中には同じような子(不登校気味)もいる感じです。
その不登校気味のオンライン上の友だちAが新学期から学校に行くと息子にいいました。息子にも学校に行くようにと色々と説得されたようでした。
「今日Aから不登校の宿?みたいなとこ誘われたけれど・・・でもまだいきたくないんやけど・・・そこに行きたくなったら行ってもいいかなぁって母ちゃんに聞きたくて」
と言って来ました。そこで母親は
「めっちゃ行きたくなったらいいんじゃない?それまで家におりな」と答えました。息子の返事は
「うん・・・」
とだけ言って、部屋にゲームをしに行きました。その後、何日も不登校の宿の話は息子からありませんでした。
母親からの質問です。母親から不登校の宿のことを話さなくても良いでしょうか?母親から不登校の宿について何も質問をしないで、息子から話してくるのを待つので良いでしょうか?「めっちゃ行きたくなったらいいんじゃない?」も言わない方がよかったんでしょうか?それとも行っては駄目だと言ってあげた方が、息子の心が楽になって、それだけ早く元気になっていくのでしょうか?

<解説>

>ネット上でつながっている友達しかいません。
子どもの不登校問題を解決するには、第一に、登校刺激から子供を守る必要があります。

>その友達には学校へ行っていないことも話していて、中には同じような子(不登校気味)もいる感じです。
友達は学校を連想しますから、とても強い登校刺激になります。しかし不思議なことに、ネット上のゲーム関連の友達はそれほど強い登校刺激になりません。

>その不登校気味のオンライン上の友だちAが新学期から学校に行くと息子にいいました。息子にも学校に行くようにと色々と説得されたようでした。
普通ならこれはとても強い登校刺激になります。今回息子にも登校刺激になりましたが、それほど対登校刺激になって居なかったようです。

>「今日Aから不登校の宿?みたいなとこ誘われたけれど・・・でもまだいきたくないんやけど・・・そこに行きたくなったら行ってもいいかなぁって母ちゃんに聞きたくて」と言って来ました。
息子に登校刺激になったので、その登校刺激について母親をテストしました。

>そこで母親は「めっちゃ行きたくなったらいいんじゃない?それまで家におりな」と答えました。
悪くない回答でしたから、息子からのテストに合格しています。

>息子の返事は「うん・・・」とだけ言って、部屋にゲームをしに行きました。その後、何日も不登校の宿の話は息子からありませんでした。
これはお母さまが息子からのテストに合格したという意味です。

>母親から不登校の宿のことを話さなくても良いでしょうか?
お母さまが言葉にすると、息子さんにとても強い登校刺激になります。絶対に話さないで下さい。

>母親から不登校の宿について何も質問をしないで、息子から話してくるのを待つので良いでしょうか?
そうです。但し、息子からのテストに合格していますから、今後不登校の宿について、息子から言ってこないと思います。

>「めっちゃ行きたくなったらいいんじゃない?」も言わない方がよかったんでしょうか?
悪くはないですが、

>行っては駄目だと言ってあげた方が、息子の心が楽になって、それだけ早く元気になっていくのでしょうか?
こちらが正解です。

心の力、心のエネルギー

とても難しい議論ですが、分かる方は読まれてみてください。

ある物理を専攻している人から、、F =M・A という法則の左辺は心理的現象を表し、右辺が物理的現象を表していると見えます。というMSGを頂きました。Fは力、Mは質量、Aは加速度、ですが、その様なことを理解なさらなくても良いです。物理領域での力の表現です。この式のFは物理的現象の力を示しています。ですから、身体の体力に関係していても、心理学的にそれほど大きな意味を持っていません。物理的なエネルギーと表現しておきます。本当はエネルギーではなくて、力です。

心理学的にはA(物理学的なAのベクトル的な意味合い、方向とその大きさがとても意味があります。心が元気な子どもではAはプラスで、心の元気さの尺度として(実際は表現が難しいですが)とても大切です。Aが0付近の子どもは自発的な動きがないか、あっても弱いです。それでも子供の心理学の対象になりにくいです。

心理学的にはAがマイナスの場合があります。と言うより心の問題を扱うときには、概念的ですが、Aがマイナスの子どもの対応、つまりAをどうやってプラスにするかという対応法が、子供の心の問題の解決法になります。

Aがマイナスの場合、子どもはAが0又はプラスになるような所に、本能的に逃げます。逃げられない時には、本能的にAの方向性は破壊行動に走ったり、Aをマイナスにするような人や事柄について、その子どもなりにAが0になるような行動をします。それは多くの場合、一般の人には、問題行動として理解されることが大半です。

Aが極端にマイナスになり、0に近づくことがないときには、そのAの方向性は、所謂心の病の症状を出します。マイナスのAが自分の心に対して事故破壊てきな行動をするようになります。

このAは力ではないです。当然加速度、ポテンシャルです。しかし多くの人はそのことを理解できないので、心の力、心のエネルギーと私は表現しています。Aがプラスの時、子どもはそのポテンシャルを用いて、その子どもなりに色々な挑戦や、大人からの指示を実現化しようとしたりします。

安心して引きこもる

安心して部屋に引きこもってる子と、何か登校刺激を少しでも感じて部屋に引きこもっている子では同じ引きこもりでも表情が違うのかな?と思いまして。

<解説>

母親ならどことなく分かると思います。どことなく何時もと違う、何時もの母親の前と違うなど、どことなくで十分なのです。不登校などの心が辛い子供でいうなら、何時もの子ども、以前の子どもの違う、何か違うなと母親は感じることが多いようです。

どちらにしても自分の部屋に引きこもられているのですから、その分登校刺激から子供が守られているのですが、可能ならあらゆる登校刺激から守られて、つまり安心して引きこもられている方が、その分早く心が元気になって、心のエネルギーを大きくして、引きこもりを止めてくれるようになります。

>安心して部屋に引きこもってる子と、
母親と子供との間に信頼関係がしっかりとできている場合です。但しその信頼関係を母親は理解できない場合も多いです。子どもの姿として、部屋の中で子どもとして楽しいことに没頭できている状態です。その姿は自然態で、表情や言葉や行動が素直、母親としておやっと思うようなことがないです。
子どもの必要に応じて、不規則に、何かを求めて部屋から出てきます。

>何か登校刺激を少しでも感じて部屋に引きこもっている子
それまでの成長の過程の表情や言葉使いや行動にどことなく何時もの違う物(行動や言葉が荒いなどの不安の表現)を、多くの母親は感じ取れます。母親から見てこだわり?と理解できるような、同じような行動を繰り返します。自分から何かを求めて部屋から出てくることが少なくなります。

第百三十六回子どもの心検討会

4月21日に第百三十六回子どもの心検討会を行います。

Zoomでの多くの方の御参加を御願いします。

きっと思わぬ発見があると思います。

 

主催者

招待状

Zoom ミーティングに参加する
https://us02web.zoom.us/j/7201410613?pwd=SmJYN1oxTVZnc2RTVFNhMSs4eWVvUT09

ミーティング ID: 720 141 0613
パスコード: 130618