人間はほ乳類の進化の頂点にいます。ですから人間も子ども時代は、ほ乳類として生きる必要があります。そして大人になると、人間特有の生き方、意識を用いた生き方をするようになっています。子ども時代にも意識はありますが、意識を利用した行動はできないか、とても下手で、無視をして良いようです。ですから、子どもの成長を考えるときには、ほ乳類の子どもの成長を参考にして考えるので、大筋は間違っていないと推測されます。又実際に良く当てはまります。
何故このようなことを敢えて私が言うかです。それは現在の医学が動物の体から学んだ結果だからです。動物の体から学んだ事実を実際の人間に当てはめてみて、その事実が間違っていないことの蓄積が医学です。子育ては医学とは異なります。それはほ乳類としての子育てになっています。ほ乳類としての子育てをしないと、子どもの心身が人間としての社会に順応できない子どもになってしまいます。子育てのこの部分は経験的な事実です。
>登校拒否研究室では、不登校の解決には、登校刺激をなくすこと、そして、母親との信頼関係が必要と言われていますが、私は、母親との信頼関係が必要なのは、登校刺激から守ったり癒やしたりするためだけなのかなぁ、他にも理由があるのかなぁと思っていました。
不登校の子供に限らず、子どもの成長の過程で心が辛くなる子供は必ず出てきます。その辛くなった子どもの心から辛さを無くして、心が元気な子どもから大人になって、大人社会に出て行くにはどうしても母親(母親がいない場合には代理母)と子供との間の信頼関係が必要です。それは動物実験でも証明できますから、科学的な事実と言って良いと思います。
>ブログのこの投稿を読んで、母親との信頼関係が必要なのは、登校刺激から守ったり癒すだけではないのでは?と再度思えました。
おっしゃるとおりです。母親(又は代理母)と子どもとの信頼関係(子どもの心から言うなら、いつ、どのような場合でも、母親から守られていると脳が反応をしている)は、多くの場合、ただ単に触れ合いだけで、意識しないで、できてきています。それは人間以外の動物でも同じです。そして子どもは成長をして、大人になって、母親から離れていきます。自立していきます。この過程は動物の子育てがそのまま(勿論動物によって具体的に異なりますが)当てはまります。
>登校刺激から守ったり癒やしたりすることはもちろですが、母子の信頼関係があれば、言葉にはしなくても「何があっても大丈夫よ」というようなことを言っているようなお母さんの笑顔さえあれば子供は自分で成長していくのだということなのかなと今更ながら自分なりに腑に落ちた気がします。
それが信頼関係です。子どもの立場から言うなら母親に依存をして、母親の立場から言うなら母性が機能をして、子どもにとって安全な成長が成り立っています。
>もっと言えば、私(母親)は、登校刺激をなくし続けて、笑顔さえあれば、原則としては何も心配しなくてもいいということになるんだなぁ、と、ふと思えて今まで以上に心が楽になりました。
それがほ乳類という動物の子育てです。勿論心の反応の仕方という意味での、子育てです。子どもを育て大人にして、大人社会に送り出すには母親だけで十分です。やや親に常識的な欲がなければ、子育てはそれだけで十分です。しかし人間には他の動物にない欲があります。他の動物にもあるのかも知れませんが、それを知る方法が今のところありません。そして母親が持つ欲が、特に人間では父親が持つ欲が、人間を他の動物と異なる特別な存在にしています。
但し、動物には学校がありません。動物が大人になるには、家族が、家族の集団である群れが、その代役をしています。人間では群れの代わりに学校を作りました。その学校がどうあるべきかについて、それは教育学者に任せますが、その学校で学校に反応をして子供を辛くするトラウマ=FCRを身につけてしまった子どもへの対応法を研究、実践に協力するのが、不登校学会です。