ススキ野殺人事件(2)

娘はきっと幼いときから父親のコントロール下にあったと推測されていたと申し上げました。それは娘を可愛く思うことから、結果として夫婦は娘を所謂我が儘娘(自分の主張を否定されると、とても辛くなり、荒れるなどの問題行動をする)に育てたのだと思います。そしてそのこととは無関係に、学校内で娘の心が辛くなることがあり、娘が学校に行き渋るようになったのではないかと推測されます。

しかし父親は娘を外見上不登校にさせないため(娘の心は既に不登校)に、娘を学校に行かせるために、あらゆる娘からの要求を実現する(心が不登校の子どもを学校に行かせようとすることは、子どもの心を否定することになります。その娘の否定された心を、要求を叶えることで癒やせただけであって、学校に対する辛さは続いていた、相乗効果を生じていたと推測されます)と娘が学校に行ってくれたので、娘からの要求を無条件で全て認め続けたのではないかと推測します。それを続けているうちに、父親が無条件で娘の要求を叶えることに依存をしてしまいました。

不登校などの心が辛い子供の要求を、母親は無条件で、100%だけ、即座に笑顔で叶える対応は、辛い子どもの心を楽にして、子どもの心を元気にします。それだけでは不十分で、子どもの心を辛くする物、不登校の子どもなら登校刺激を取り除かないと、効果がありません。又、心が辛い子どもはこの対応を母親に求めても、父親には求めません(父親が代理母になっている場合は別です)。心が辛い子どもはこの対応を父親に求めませんから、それどころか心が辛い子どもは父親の存在に子どもを責める物を感じてしまいますから、子どもの心を元気にしません。子どもが要求する物を即座に叶えられることに、子どもは習慣化して依存をするようになります。それでも共感とスキンシップがあったなら、娘の要求を何でも叶えるという父親の対応への依存の程度は弱くなるはずです。